大西巨人編『兵士の物語』

 読了日2019/08/15。
 1981年3月30日発行第2版。収録作は次の通り。鮎川信夫「兵士の歌」・村山知義「砂漠で」・黒島傳治「渦巻ける烏の群」・北川晃二「逃亡」・宮内寒彌「艦隊葬送曲」・梅崎春生「崖」・野間宏「第三十六号」・田村泰次郎「檻」・大岡昇平「俘虜記」・中野重治「第三班長と木島一等兵」・小島信夫「星」・島尾敏雄「出発は遂に訪れず」・大西巨人「軍隊内階級対立の問題 ―編集後記に代えて—」。

 〈兵士〉の目から見た戦争。編者自ら「相当な文学的迫力および意義を持つ」と評した12編は、個々の戦争体験を普遍性に昇華する強固な文体と認識を示す。
《兵士たちよ きみたちは もう頑強な村を焼きはらったり 奥地や海岸で 抵抗する住民をうちころす必要はない》(鮎川)

《祖国なんてものは何処にもない。あるのは資本家共の大きな搾取の機関と、欺されていた俺達の憐れな夢だけだ》(村山)

《誰のために彼等はこういうところで雪に埋もれていなければならないのだろう。それは自分のためでもなければ親のためでもないのだ。懐手をして、彼等を酷使していた者どものためだ》(黒島)

《所詮、兵隊は忠君愛国の烙印を捺された苦力であった。》(北川)

《艦艇装備を如何に近代化しようと、兵隊の生活は昔のまま一歩の改革もなかったのだ。腰に短剣などをつり青年士官が颯爽と青年子女の憧れの的になろうと、艦底の兵隊を泣かせておいて知らぬ顔では、日本海軍もやきが廻ったと思うより他なかった》(宮内)

《私はどんな環境にも適応することによって、自分の精神や肉体が傷つくことから避けようと考えていたのである。自分をなるべく平凡な目立たぬ兵隊に仕立てる事で、下士官兵長の眼から出来るだけ逃れていたかった。》(梅崎)

《彼がただ単に軍隊組織の上からの重圧によるだけではなく、自由を奪われた人間達との長年の看守としての奇妙な交りによって、彼自身自ら自分を奪ってきたのだ》(野間)

《長い血と銃火のなかの、絶えず死と直面している生活で自然に身についた、欲するものはなんでもその場で自分のものとしたい衝動-その衝動を満足させることで、自分が生きていることを自覚させようとする習性(中略)それは理屈をはるかに越えた、もっと強い、烈しい肉体の衝動である。人間という存在そのものの衝動だ》(田村)

《「殺すなかれ」は人類の最初の立法と共に現われたが、それは各人の生存がその集団にとって有用だからである。集団の利害の衝突する戦場では今日あらゆる宗教も殺すことを許している。要するにこの嫌悪は平和時の感覚であり、私がこの時既に兵士でなかったことを示す。それは私がこの時独りであったからである。戦争とは集団をもってする暴力行為であり、各人の行為は集団の意識によって制約乃至鼓舞される。もしこの時僚友が一人でも隣にいたら、私は私自身の生命の如何に拘らず、猶予なく射っていたろう。》(大岡)

《肌のあわぬ二人は、危く衝突しそうになる度にそこで妥協した。そのやりとりが、いやないやないちゃつきに見えてわたしには仕様がないのだった》(中野)

《僕はその時とられる日本人の方が、何か自分が取られるのを望んでいるような姿をさえ見かけました。その卑しさに僕は居ても立ってもおられなくなりました》(小島)

《異常な完結的な予定の行動が延期されると、日常のすべてのいとなみが気息を吹き返す。私の嫌悪している死が、くびすを返して遠去かり、皮膚の下でうごめく生のむずがゆさがはたらきはじめて、あとさきの約束ごとのなかに戻って行かなければならないことを知る。巨大な死に直面したすぐそのあとでも、眠りは私を襲い、空腹が充たされたい欠乏の顔付をかくさないで、訪ねてくる》(島尾)

 最後に編者・大西の言葉を引用する。

「兵隊の解体を齎す最高の溶剤」としての「戦争の敗北」あるいは「軍隊自体の属性から発現し、ある程度まで軍隊崩壊動員として作用するような、軍隊内発的な溶剤」としての「兵隊の特定の不平」が、二つの「溶剤」そのものにたいする各作者の意識的・能動的・科学的な着目の有無または高低深浅にかかわらず、客観上それぞれさまざまに多かれ少なかれ表現せられている。

 

例の二つの「溶剤」そのものにたいする意識的・能動的・科学的な着目ならびに表現の不足または欠乏と、さらに「搾取者と被搾取者との間の、階級的対立が、近代の軍隊においては、士官と『兵卒』との間の対立として再生産されているということ」すなわち軍隊内階級対立そのものにたいする意識的・能動的・科学的な着目ならびに表現の稀薄または皆無とが、おしなべて諸作品の基本的弱点でなければならない

法月綸太郎『頼子のために』

 読了日2018/03/24。

 〈ミスリードを目的として書かれた手記〉というテーマに興味がある。本書ではそのようなトリックを用いざるを得なかった、犯人の葛藤に満ちた人間関係に焦点が当てられていて、謎解きと人間ドラマの二つを味わうことができた。登場人物がやや類型的なのは若書きであるからか。名探偵の敗北という苦い余韻を残す結末も、何か若さゆえの苛立ちと無力感を感じさせる。直接手を下さず全てを見守るだけの真犯人像にはどこか起源があるのだろうか。

ニコラス・ブレイク『野獣死すべし』

 読了日2018/07/03。

 法月綸太郎『頼子のために』で言及されていたので読む。良作とも前半が子供を殺されて復讐を誓う父親の日記で、後半が真相解明パートという構成が共通する。ミステリに登場する事件関係者の手記は(1)真相を隠すミスリードの役目か、(2)計画を示して第三者に犯罪教唆する役目、のどちらかではないかと思うのだが、本作は両方の要素を備えている。息子を失ったフィリクスは、結果的にフィルというもう一人の少年の解放の手助けをしたのが、僅かな救いである。

「ホテルのラジオが支那無防備都市群に対する爆撃は純然たる自己防衛であるという日本の主張を、無感動に繰り返していた」

「いまは当然のごとく非戦闘員に爆撃を加えておる」

 最初は重慶爆撃(1938年末~)かと思ったが、本作の刊行年が同年なので、それ以前の第二次上海事変などを指すか。いずれにせよ海の向こう側では既に日中戦争は始まっており、火野葦兵『麦と兵隊』と同時代の文学なのだと思うとまた興味深い。

松本清張『遠い接近』

 読了日2020/01/29。
 作者自身の経験も踏まえた、微に入り細を穿った軍隊生活の描写が秀逸である。

上級の者は下級のものに向かい、聊かも軽侮倨傲の振舞あるべからず(中略)と勅諭のとおりに心がける者は、下士官以下一等兵の古年次兵にいたるまで一人もなく、初年兵には気合を入れなければ士気がたるむ、動作が太くなる、といって私的制裁禁止令を悪法視し、その殴打、暴行をいっこうに改めなかった(p64)

「銃はな、このうえもなく大切なものだ。大切な証拠には、忝くも菊の御紋章が銃身にちゃあんと付いている。銃はかけ替えがないが、お前らは赤紙一枚でいくらでも補充がつく」(p149)

 この赤紙一枚にささやかな人生の幸せを破壊された男の復讐劇。突き止めた目標はただの「見すぼらしい男」(p333)だった。男は「町内訓練を怠けている人だから三カ月の教育召集ぐらいは身のためだろうと軽く考えて」(p290)主人公にハンドウを回す。

 天皇を頂点とした巨大で抗いがたい組織の末端であるがゆえに抱く全能感と、卑小な本人とのギャップ。清張の描いた“悪の凡庸さ”。

松本清張『ガラスの城』

 読了日2014/02/16。

 一流企業で起きた殺人事件を、女性社員二人の手記という体裁で描いた叙述トリックの傑作。「しょせん、女子社員は男子社員の事務補助にすぎない」「女子社員はつねに傍観者」と再三強調されるため、読者は社内の人間関係から外れた彼女達の観察だから、信頼できるだろうと思い込まされる。しかし後半ではそれが見事に覆される。実は「傍観者」でしかいられなかった人物の悲しい願望が、事件の成立に関わっていた。その意味で、弱者の情念をテーマとした清張作品らしいといえる。

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

 最初に確認しておくべきは、読書離れと本離れは、重なりながらも位相がずれる点。書籍購買人口の減少、引いては地域書店の消失という現象は、出版・流通・市場の問題と関連してくる。新刊書を買う人々だけが読者ではなく、古本・貸本・図書館・読書会での貸借など、本に触れる様々なルートがある。そこまでテーマを広げると収拾が付かないので、本書では各時代の労働観と読書観の関連という、意識の面に絞って論を進めている。また帯文で誤解しそうだが、活字とスマホというメディアの差異を、例えば科学的に論じたものではない。

 以下補足を交えながら要約したい。まず明治期に立身出世主義が浸透し、スマイルズ『自助論』に語られるような、社会的成功のための修養を勧める本が、労働者の間で広く読まれるようになった。他方で漱石の小説に登場するような大学出の高等遊民(エリート層)は、そのような立身出世主義に距離を置く。

 大正期には中間層であるサラリーマンが大量に登場し、手軽に社会問題や教養を得られる『中央公論』『改造』『文芸春秋』などの総合雑誌が重宝された。他方、労働者階級は『キング』『講談倶楽部』など大衆娯楽雑誌に流れる。

 昭和期の大きな出来事は円本ブームで、筆者はサラリーマン層に購入された要因として、書斎に適した「インテリア」としての役割、改造社の各種メディアを駆使した宣伝の影響などを指摘する(作家を動員した販促の講演会で上映されたのが、かの木登りする芥川龍之介の姿などを収めた「現代日本文学巡礼」というフィルムである)。パッケージとメディアによる販売戦略とは、後の角川商法を思わせて興味深い。戦時下は出版統制や検閲など、複雑な要素が絡んでくるので、余り触れられていない。

 60年代からは高度経済成長により激増したサラリーマン層のため、カッパ・ブックスなど手軽な新書や文庫本が登場するが、オイルショックにより景気が後退し、会社員は厳しくなった人事査定を生き残るべく自己啓発に努めるようになる。このような「高度経済成長期の企業文化にたしかに存在した「みんなが横並び」「みんなで頑張る」世界観の綻び」(p.134)が、司馬遼太郎が作中で描く、「町工場のように小さい国家」で「そのチームをつよくするというただひとつの目的」に向かった「楽天主義」の時代に対するノスタルジーに繋がった。これは司馬史観をただ批判するのではない、筆者の創見だろう。

 70年代があさま山荘事件小松左京日本沈没』・五島勉ノストラダムスの大予言』と続く、政治の挫折と世界的な終末イメージの時代だったとすれば、80年代は村上春樹に代表されるような、「私」の内面に深く沈潜する世界観が主流となる。同時にカルチャーセンターブームにより、女性達が教養を身につけ、小説講座などを通して自己表現の道を模索し始める。ジェンダー的な切り口を入れるなら、森瑤子・山田詠美吉本ばななら、女性作家の台頭と読者層の相関もあってほしかった。

 90年代は心理学やスピリチュアルへの関心が高まり、消化器の専門家だった春山茂雄の『脳内革命』(1995)がベストセラーになるなど(養老孟司唯脳論』は1989年)、現在に続く脳科学ブームの始まる時期でもある。「社会と自分を切断」(p.174)し、不安の解決策を気(脳)の持ち様やトラウマや前向きな行動など、個人的な領域に限定して求めていく。その背景にはバブル崩壊により「企業に忠誠心を持っていれば安心」(p.172)という時代が終わり、自分の領分で何とかするしかないという、諦念にも似た価値観の転換があった。

 ゼロ年代以降の章は、筆者の生きた時代と重なることもあり叙述が勢いづく。非正規雇用新自由主義的価値観の浸透により、人生の全てが「労働」に集約される。80年代は上野千鶴子『〈私〉探しゲーム』が分析したように、生計とは別に収入の幾ばくかをブランド品購入などの消費に充てることで、自分らしさを作り得た(上野はそのように商品化された自己を批判したのだが)。しかし経済的余裕が社会全体から失われ、生きがいを仕事以外に求める別の選択肢は絶たれてしまう。趣味でさえも「全身」を賭けたシリアスなものとなる。

 社会全体を覆うこの“余裕のなさ”の中では、環境に不満を言うより“与えられた場所”で自己研鑽を怠らず前向きにベストを尽くすこと(そうしなければ他との競争に勝ち抜けない)、そして限られた時間を有効に使うためコスパ・タイパ良く生きることが求められる。世に持て囃されるライフハック術や自己啓発は、そのような潮流に棹差している。だがそれは裏を返せば「全身全霊」を貫けない生き方や、「ノイズ」に耳を傾けるといった一見非効率・非生産的な行為への冷笑と排除を生む(ひろゆき的な)。

 だが「全身全霊で働けているのは、家族のサポートがあったり、たまたま体力が今はあったり、運良く環境が揃っているからです。全身全霊で働くことを美化していると、いつか全身全霊で働けなくなったとき(中略)「全身全霊で働けないやつなんて、だめだ」と考えそう」(p.272)。余裕が失われた社会では生理・妊娠・出産・育児・病気・老いなど、直接生産に繋がらない人体の自然が悉く「ノイズ」となる。そんな価値観を内面化した人間は「ノイズ」を抱えた自他を攻撃する。松沢裕作『生きづらい明治社会』で活写されたような時代が再訪している。

豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』

 読了日2023/09/03。昭和天皇マッカーサーの会談をめぐっては、『マッカーサー回想記』(1964)に記された有名な“美談”がある(以下は豊下著による)。つまり、天皇は自分の免罪を懇請するどころか、国民の行った戦争責任の全てを自分が取ると自ら言い出し、マッカーサーを感動させたというのである。

 歴史学者の筆者は、この場面が「虚実ないまぜ」で到底史実と見なし得ないと指摘し、では実際にこの会談の真意はどこにあったのかを、限られた史料から明らかにしようとしたものである。

敗戦から米軍による占領という、文字通り国家の最大の危機に直面した昭和天皇は(中略)占領協力に徹することによって、戦犯としての訴追を免れ、皇室を守り抜くことに成功したのであった。戦後直後の危機を切り抜けた昭和天皇にとって、次に直面した最大の危機は、天皇制の打倒を掲げる内外の共産主義の脅威であった。この脅威に対処するために昭和天皇が踏み切った道は、「外国軍」によって天皇制を防衛するという安全保障の枠組みを構築することであった。(p.209)

敗戦直後からの戦犯訴追の危機を、「すべての責任を東条にしょっかぶせるがよい」という基本路線にたって“日米合作”で東京裁判を切り抜け、その後の共産主義の脅威に対しては、沖縄の米軍支配と安保条約による日本の防衛という体制を築きあげるために、昭和天皇は全力を傾注したのである。こうした天皇にとっては、東京裁判と安保体制は、「三種の神器」に象徴される天皇制を防御するという歴史的な使命を果たすうえで、不可分離の関係にたつものであった。(p226-7)

 本国との関係において微妙な立場にあったマッカーサーと、上記引用にまとめられたような昭和天皇の利害が一致し、件の“美談”も含めた協力体制が作られていった。筆者はその経緯を、資料が未公開のため不明な点については推測も交えつつ、全体としては手堅い論証でまとめていく。何度も資料の公共性と公開を訴えているのは、やはり近代史ならではの様々なタブーに直面したからだろう。

 それにしても興味深いのは、敗戦に際しても退位を拒んだという“政治的人間”としての昭和天皇の肖像だ。私達は権力者をともすれば情緒的・人情論的に捉えがちだが、権力者はその立場を得た途端、権力維持に固執するだけの別の生き物になる。弟・高松宮に「自分の地位がおびやかされるんではないか」と不安を抱き(p234)、革新勢力の台頭や国際的な共産主義の潮流を「内乱への恐怖」と結びつけるなど(p219)、猜疑心に囚われた姿が見えてくる。堀田善衛方丈記私記』が支配階級の特徴とした「国民というものの無視、あるいは敵視」も連想した。

 また本書で引用されるジョン・ガンサー『マッカーサーの謎』(1951)の「もし私が戦争に反対したり、平和の努力をやったりしたならば、国民は私をきっと精神病院かなにかに入れて、戦争が終わるまでそこに押しこめておいたにちがいない。また国民が私を愛していなかったならば、かれらは簡単に私の首をちょんぎったでしょう」という天皇の言葉は、元を辿れば免責のためのプロパガンダに端を発するものらしいが(p.19-20)、権力により「精神病」が都合よく用いられるというテーマは、井上章一『狂気と王権』とも繋がっていく。