松本清張『遠い接近』
読了日2020/01/29。
作者自身の経験も踏まえた、微に入り細を穿った軍隊生活の描写が秀逸である。
上級の者は下級のものに向かい、聊かも軽侮倨傲の振舞あるべからず(中略)と勅諭のとおりに心がける者は、下士官以下一等兵の古年次兵にいたるまで一人もなく、初年兵には気合を入れなければ士気がたるむ、動作が太くなる、といって私的制裁禁止令を悪法視し、その殴打、暴行をいっこうに改めなかった(p64)
「銃はな、このうえもなく大切なものだ。大切な証拠には、忝くも菊の御紋章が銃身にちゃあんと付いている。銃はかけ替えがないが、お前らは赤紙一枚でいくらでも補充がつく」(p149)
この赤紙一枚にささやかな人生の幸せを破壊された男の復讐劇。突き止めた目標はただの「見すぼらしい男」(p333)だった。男は「町内訓練を怠けている人だから三カ月の教育召集ぐらいは身のためだろうと軽く考えて」(p290)主人公にハンドウを回す。
天皇を頂点とした巨大で抗いがたい組織の末端であるがゆえに抱く全能感と、卑小な本人とのギャップ。清張の描いた“悪の凡庸さ”。