2015-01-01から1年間の記事一覧

戦後70年談話の歴史語り

去る8月14日に安倍首相による総理大臣談話が出された。閣議決定された「総理大臣談話」は、個人的見解を述べた「総理大臣の談話」と異なり、日本政府の公式見解として内閣が変わっても引き継がれるものという*1。つまり戦後70年談話は、単に日本政府の見解…

樋口陽一『個人と国家――今なぜ立憲主義か』

個人と国家 ―今なぜ立憲主義か (集英社新書)作者: 樋口陽一出版社/メーカー: 集英社発売日: 2000/11/17メディア: 新書購入: 2人 クリック: 17回この商品を含むブログ (27件) を見る 2000年に刊行された本書は、現在の私達にとって多くの示唆に富む指摘を含ん…

戦争を個人の出来事に取り戻す

大岡昇平『レイテ戦記』が戦争を「兵士」の視線で描くことに徹しているという先日の感想を書いた後、それを補足するような西谷修へのインタビューを見つけたので、ここに紹介する。IWJ Independent Web Journal 2015.4.27から。 「自由」と「戦争」をめぐっ…

戦争を語る文体――大岡昇平『レイテ戦記』

大岡昇平『レイテ戦記』を読んだが、単なる事実の羅列ではなく、戦争を文学において捉えるための一貫した方法意識に貫かれているのに驚いた。 それは簡単にいえば「兵士」の目線で戦争を書くということである。自作を語った「『レイテ戦記』の意図」(『大岡…

断続的な自己

宇野邦一『反歴史論』は、第1章「反歴史との対話」で小林秀雄、レヴィ・ストロース、柳田国男などの客観的歴史に疑義を呈した人々の系譜を取り上げている。さらに第2章「無意識・映画・存在論」、第3章「歴史のカタストロフ」ではハイデガー、バタイユ、…

戦争と認識されなかった戦争が「泥沼化」を招いた

満州事変から日中戦争に至る経緯を調べていて、下記の記述にぶつかった。文中の橋川とは橋川文三のことだ。 多くの日本人にとっての戦争とは、あくまで故国から遠く離れた場所で起こる事件と認識されていた(中略)橋川はいう。考えてみれば、三七年七月に勃…

国民の「生命」を守るという大義名分を掲げない侵略や戦争があるだろうか

加藤前掲書によれば、満蒙について「国民的生存」のため必要であるとする議論は、1929年の世界恐慌で現実味を帯びるようになった。前満鉄副総裁・松岡洋右が「満蒙は我国の生命線である」と主張したのは1931年である。 それに先立つ1914年、中国学者の内藤湖…

句会記録

季題は「かたつむり」。 でで虫やFausut(ファウスト)のまだ一行目 夜語りに祖母の隠した梅酒かな

酒井直樹・西谷修『増補〈世界史〉の解体』

人文学(ヒューマニティーズ)と人類学(アントロポロジー)の違い 西谷 「フマニタス」というのは「人間性」とも訳されますが、いわゆる「人間」を指す言葉なわけで、それに対して「アントロポロス」と呼ばれるのはその「フマニタス」によって発見された存…