満州事変から日中戦争に至る経緯を調べていて、下記の記述にぶつかった。文中の橋川とは橋川文三のことだ。 多くの日本人にとっての戦争とは、あくまで故国から遠く離れた場所で起こる事件と認識されていた(中略)橋川はいう。考えてみれば、三七年七月に勃…
加藤前掲書によれば、満蒙について「国民的生存」のため必要であるとする議論は、1929年の世界恐慌で現実味を帯びるようになった。前満鉄副総裁・松岡洋右が「満蒙は我国の生命線である」と主張したのは1931年である。 それに先立つ1914年、中国学者の内藤湖…
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