京谷秀夫『一九六一年冬「風流夢譚」事件』

 読了日2019/08/13。

 周知のように、「風流夢譚」事件は、深沢七郎の小説「風流夢譚」(『中央公論』1960・11)に激怒した右翼団体の少年が、中央公論社社長・嶋中鵬二宅に侵入し、家族とお手伝い二名を殺傷した事件である。要因は、同作の中で夢の中の出来事として、皇族らがギロチンにかけられるという場面が描かれていたのを、不敬だと憤ったためだとされる。

 当時『中央公論』編集部次長だった筆者は、まずこの作品について、「人間宣言をしながら象徴という抽象の高みに上らざるをえなかった天皇という存在、天皇制という制度のパラドックス」を表現したものであり、「天皇=皇族の人格という問題」(p102)を提起したものとしている。ここに中野重治「五勺の酒」の「どこに、おれは神ではないと宣言せねばならぬほど蹂躙された個があっただろう」という言葉を繋げることもできよう。今もなお、皇族は生身の人間でありながら、象徴という非人間的な立場に留まり続けている。

 また筆者は、作品内容が暴力という実行動を誘発したとされることに対して、強い異議を唱える。

(「風流夢譚」とその掲載によって)殺人が起こり、それをむしろ当然とし、被害者の方が委縮する日本と日本人民とはいったい何なのか(p194)

この作品は、象徴天皇制が戦前のそれに劣らず暴力的側面を内包していることを図らずも露にしてしまったが、近代的市民の誕生のために、歴史の事実として自国の君主を「処刑」できなかったならば、観念の中で一度はそれを行わねばならないと私は考えた(p195-6)

 この暴力の担い手は、公権力そのものというより、国家や民衆の意思を代表すると自称する、私的集団である。しかし同時に、公権力が自分の手を汚したくない場面では、これらにこっそりとお墨付きを与え、変わって制裁を行わさせることもあったとする。

戦後においては、言論の自由は正に所与であった。しかも国家権力による自由侵害ではなく、インフォーマルな組織が国民を代表し天皇家を代理しているかのごとく装って登場してくる。彼等にそんな権利はないことをよく知っておくべきであろう。(p290)

右翼勢力は、安保改定反対運動の過程で、労働者・市民・学生に対抗し、警察力を補強する力として、権力側から半ば公認のかたちで暴力使用のライセンスを与えられていた集団である(中略)彼らは安保改定反対運動が収束し、彼らの役割が一応終ったかに見えた後においても、そして国家権力の頂点の座が、彼らにそのライセンスを与えた岸信介から池田勇人に交替しても、一度得た特権を返上するようなことはなかった。(p298-9)

 そのような集団と関わらざるを得なくなった際には、相手の手の内に乗らないよう、重々注意しなければならない。

右翼団体に対して、被害者の側が密室で決着をつけようとすることは、みすみす彼らの術策にはまることになるであろう。彼らはつねに最終的手段として暴力を行使することをほのめかしながら、そしてそれの与える恐怖感を計算しながら攻撃してくる。それに対して、密室で彼らと対峙することは、被害者の側にむしろ孤立感を与える結果になるであろう。(p232)

 本書に書かれた右翼団体に対する『中央公論』編集部の対応は、個人で相手の本拠に乗り込む、仲介に別の右翼の手を借りるなど、後に伊丹十三監督「ミンボーの女」(1992)で描かれた悪手ばかり打っている。

 本事件のようなタブーは今もなお生きていると知らしめたのが、2019年のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」を巡る一連の動きだった。本書の筆者は、事件を経て、そのようなタブーとどう戦っていったら良いのかを、苦い教訓として導き出している。

自分の論理が正しいと信じられるならば、ことを公然化した方がよいのではなかろうか。右翼との争点を、その争点に対する自己の主張を公衆の前にさらけ出し、それによって予想される公衆の参加が可能な土俵を自ら設定する努力をしたほうがよい、というのが少なくともテロ事件以後の私の考え方である。(p232)

主体の側の準備が整っていないと判断したら、事前に企画は中止した方がいい。あえてリスクをおかして、結果的にマイナスポイントをかせぐことは非常によくないのである。乗りかかった船には、最後まで乗らなければならない。乗りかかった船を、たとえ自主規制であろうとも、途中下車することは、相手側が一ポイントかせぐことであり、しかも前例として利用されれば、将来に禍根を残すことになる。(p290)

 本書からは、なお現代に繋がる様々な問題点を摘出できるだろう。個人的には、公権力と私的暴力組織の繋がりは、戦前に遡るものではないかとも思う。下記を参照したい。