山崎雅弘『[増補版]戦前回帰 「大日本病」の再発』

 第二次大戦下の日本について批判的に検証した本は枚挙にいとまがない。だが本書の特徴は、当時刊行された文献をできるだけ多く引用し、そこにどのようなロジックが働いているのかを分析している点である。
 特に思想宣伝のため官公庁出版物やそこからお墨付きを与えられたパンフレット類への目配りが充実している。教育勅語普及会『教育勅語と我等の行道』(1935)・東京高等蚕糸学校『国体に関する政府の声明書 附文部省訓令』(1935)・小林順一郎『軍部と国体明徴運動』(1935)・文部省『国体の本義』(1937)・西晋一郎『我が国体及び国民性について』(1933)・池岡直孝『国体明徴と日本教育の使命』(1936)・河野省三『我が国体と神道(国体の本義 解説叢書)』(1939)・海後宗臣『大東亜戦争と教育』(1942)・陸軍教育総監部『万邦に冠絶せる我が国体』(1938)・文部省教学局『臣民の道』(1941)・・・
 以上の書物は、満州事変(1931)から国際連盟脱退通告(1933)へと日本が国際社会からの孤立へと進んでいく時期を境に多く刊行されている。本書が引用する竹越与三郎や西園寺公望は、世界(少なくとも西欧列強)という外部を意識して、それらとの協調や外交なしに日本が存続することはできないという認識を持っていた。しかし、脱退後は外部からの掣肘が取れて箍が外れたように、自国の優位性を説く書物が大量に公刊されていく。
 筆者は、これらの多用な文献が示すロジックを丁寧に読み解き、そこに働く物語(イデオロギー装置)を再現する。ここでは簡単に「国体」の論理と呼ぶ。それをまとめると、あらまし次のようになるだろう。
“日本は万世一系天皇が統治する、他に類例を見ない優れた国家である。日本人は天皇を中心として、家族のように「和」の精神で団結している。このような日本の特殊な国柄=「国体」にとって、西欧由来の個人主義共産主義など、個人の権利を掲げて他と争い合うような思潮は、本来馴染まないものである。日本人は、この「国体」を守るためなら死も厭わない。むしろ「国体」を守るために我が身を犠牲にすることは、悠久の「国体」との一体化を意味するのである。”

 まずこの「国体」の論理は、人々に犠牲を強制する。

天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、われらの歴史的生命を今に生かすゆえんであり、ここに国民すべての道徳の根源がある。忠は、天皇を中心として奉り、天皇に絶対随順する道である。絶対随順は、我を捨て私を去り、ひたすら天皇に奉仕することである。この忠の道を行ずることがわれら国民の唯一の生きる道であり、あらゆる力の源泉である。そうであれば、天皇の御ために身命を捧げることは、いわゆる自己犠牲ではなくして、小我を捨てて大いなる御稜威に生き、国民としての真生命を発揚するゆえんである。(『国体の本義』、本書p.119-120)

欧米人は遠心的で、個人個人、おのおのが自由であることを望むのに対し、日本人は求心的で、中心へ中心へと集結しようとする。ゆえに彼は枝から枝へと分析し、我は中心の中心を求めて総合統一する。(中略)この全体を統合する中心のためには、身を捨てても嬉しいということは、やがて日本人が忘我的、破我的であると言われ、犠牲的精神に富むと称される原因であろう。中心のために身を捨てる、それはつまり全体のために身を捨てることになる(『万邦に冠絶せる我が国体』、p.162-163)

 例えば誤った作戦で部下を死なせた上官は、この論理によれば免責される。なぜなら戦場で「大いなる」価値=「国体」のために進んで「身を捨てる」ことは、日本人の道徳の基本であり、本来「嬉しい」ことであるはずだからである。言い換えれば、日本という「全体」を守るために、個々の兵士という部分は死んで構わない。国家とは本来国民の生命を保持する機関であるという考えは、ここで逆転している。

 次に合理主義・個人主義など西洋的とみなされたあらゆる思想が排撃される。

みだりに外国の事例学説を援用して、それをわが国体に当てはめ(中略)天皇は国家の機関である、と考えるような、いわゆる天皇機関説は、神聖なるわが国体に悖り、その本義をはなはだしく誤解するもの(p.109)

我が特有の国体なる語は、日本国家の根本的特質を意味するので、日本国家の実質を表わす語であるから、概念として根本的に相違するのである。日本特有の国体なる語に相当する外国語はない(p.135)

日本の社会の本質は、西洋のそれと大いに異なるものがある。しかるに、絶対単位としての個人の結合が社会であり、その共存共栄が社会生活の理想なりというように、西洋流の個人主義思想を次代の国民に与えるということは、日本精神を破壊するものである(p.139)

国体の正常なる見方は何であるかといえば、外でもない、理論によらず事実による、ということである。何となれば国体は理論によって生じて来たものではなく、事実として存在しているものだからである。(p.180)

 そもそも「国体」とは何かという定義は説明や分析はなされない。なぜなら説明や分析によって理解しようとする態度自体が、西欧的なものだからだ。日本独自の「国体」は、「事実」(日本が天皇を頂く万邦無比の国家であること)をありのまま受け入れることによってのみ感得される。よって、日本人はただ「臣民」として国家の示す針路に盲従すればよい。 

人は孤立した個人でもなければ、普遍的な世界人でもなく、まさしく具体的な歴史人であり、国民である。従って、われらの中では、人倫すなわち人の実践すべき道は、抽象的な人道や観念的な規範ではなく、具体的な歴史の上に展開される皇国の道である。
 人であることは、日本人であることであり、日本人であることは、皇国の道にのっとり臣民の道を行くことである。われらは、国体に基づく確固たる信念に生きることに於いて皇国臣民たり得る(『臣民の道』、p.173-174)

 筆者は「国体」という言葉が「厳密な輪郭を持たず、その時その時の都合に応じて柔軟に拡大解釈」可能だったと指摘する。従って権力者は最大限まで個人の生活に干渉することができる。

私生活は国家に関係なく、自己の自由に属する部面であると見なし、私欲をほしいままにするようなことは、許されないのである。一椀の食、一着の衣といえども、単なる自己のみのものではなく、また遊ぶ暇、眠る間といえども、国を離れた私はなく、すべて国との繋がりにある。(p.175)

 これら戦時下の社会の分析が、現在の読者にとって他人事と思えないとすれば、それはブラック企業から体育会系まで、悪しき日本型組織の典型がここに現われているからだろう。上の一節などは、「国」に「会社」を当てはめると今でも通用する。
 改めて特徴を箇条書きにすると、部分(メンバーの生死)より全体(組織の維持)を重視することからくる(1)上位者の免責・(2)下位者への犠牲の強要・(3)合理的分析や説明の放棄が挙げられる。
 (3)については、日米戦争開戦前に日本の敗戦を予見した「総力戦研究所」にまつわる典型的エピソードが挙げられている。

 総力戦研究所には、陸軍と海軍の大佐をはじめ、外務省、内務省、大蔵省、農林省、商工省などの官庁の課長や局長が所属して研究員となり、機密情報を含む膨大なデータを用いて実践的かつ多面的な「シミュレーション」が行われました。
 そこで導き出された結論は、「最初の数年間は日本が優勢を確保できるとしても、短期決戦で終結させられる見込みは薄く、長期戦ともなれば日本の国力が急速に疲弊し、最終的には敗北するので、対米戦は行うべきでない」というもので、このすぐ後に発生する日米戦争の様相を、驚くほど正確に予見したものでした。
 当時の近衛文麿首相や東條英機陸相は、真珠湾攻撃から三か月前の一九四一年八月二十七日と二十八日に首相官邸で開かれた報告会で、研究結果を知らされました。しかし東條はその席上、「日露戦争で日本が勝てるとは誰も思わなかった。戦争では、予想外のことが勝敗を左右する。諸君の研究は、そうした不確定要素を考慮していない」との理由で、結論への同意を拒んだ上、「この結論は口外してはならない」と釘を刺しました。(p.166)

 さらに保阪正康『あの戦争は何だったのか』からの引用も踏まえて、筆者は次のように述べている。

『太平洋戦争開戦直前の日米の戦力比は、陸軍省が内々に試算すると、その総合力は何と一対一〇〈日本が一、アメリカが一〇〉であったという。〈中略〉軍事課では(中略)「一対四」が妥当な数字だと判断し、改めて東條に報告がなされた。東條はその数字を、「物理的な戦力比が一対四なら、日本は人の精神力で勝っているはずだから、五分五分で戦える」、そう結論づけてしまった』

(中略)合理的思考を捨てた多くの日本軍人や日本国民は、この種の思考を「おかしい」と認識する能力を喪失していました。
 反論する者は「ならばお前は、日本人の精神力が低いと言うのか」との筋違いの罵声を浴びせられ、組織や社会の中で孤立させられることになりました
 また、合理的思考や客観的思考を排斥したことで、現実認識を自分に都合良く操作することへの抵抗や疑問が薄れ、自国に有利な方向へと意味を変えられるなら、現実認識を改編・修正することが逆に推奨されるという、異常な心理状態が形成されていました。(p.169-170)

 ここしばらく、私達は「現実認識を自分に都合良く操作する」実例をいやというほど見て来た。「現実認識」どころか記録された「現実」そのものが都合よく「改編・修正」される場面を。そしてそれに異論を唱える者が排除される場面を。
 筆者は第4章で、現政権下において再発した「国体」の論理=「大日本病」への処方箋をいくつか挙げている。特に納得したのは「「形式」ではなく「実質」で物事を考えること」という件。

 文化や信仰を政治家が利用する場合、政治家はしばしば、自分の政治目的(実質)を批判から守るための盾として、特定の文化や信仰の「形式」を利用します
 例えば、首相や閣僚が自らの靖国神社参拝を正当化する際、内外の批判から身を守るため、これは死者を慰霊する純粋な行いなのだ、という「形式の盾」に隠れます。(中略)英『エコノミスト』紙の記事は、安倍政権の政治的方向性という「実質」で、問題を分析・解説しています。これが、本来のジャーナリズムの役割であり、彼らは政権や官庁が問題の本質を擬装・偽装するために用意する「形式の説明」という布を自分の手でめくり上げて、その下に隠れているものに光を当てています。
 これに対し、日本の大手メディアは、政治問題では特に、実質ではなく「形式」で、問題を分析・解説することが多いように見えます。政権や官庁が用意する「形式の説明」を丸ごと受け入れた上で、その文脈に沿う形で、問題に光を当てます。(中略)この「実質」と「形式」の違いは、言葉を換えれば、自分で問題に斬り込んで独自の視点で考えるのか、それとも誰かが用意したレールに乗って、あらかじめ決められた角度からのみ問題を見るのか、という違いでもあります。

 靖国神社参拝の場合、「実質」は国民を動員する目的で、政権が「英霊」=「国体」を守るために死んだとされる人々を称揚していたのだとしても、そのような批判的検証は許されない。「慰霊」という「形式」だけを鵜呑みにして、“死者を慰霊するのは悪いことなのか!”という感情的な反論が返ってくるだけである。だから私達は、権力者が何かをする時に口に出す「意匠」に惑わされず、それらの言説の機能ぶりに着目しなければならない。
 「政権や官庁」で事に当たる官僚は、東條英機安倍晋三のような権力者の意向に阿り、彼らの要求を最も巧みに実現するようなロジックを組み立て押し付けて来る。例えば敗戦のように政体が劇的に変化した時、彼らは以前と以後の間に断絶や分裂や分裂を感じなかったのだろうか。

 第3章で、筆者は昭和天皇の所謂「人間宣言」に触れて、戦中までの「国体」思想を劇的に覆すものだったとする。

自らと国民との「新たな関係」について、昭和天皇は次のような言葉で再定義し、自分を「現人神」と考えるのとやめるよう、国民に伝えました。

『朕となんじら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、単なる神話と伝説とによって生じたものではない。
 天皇を現御神と見なし、日本国民は他の民族に優越するものであるから、世界を支配すべき運命を有している、という架空なる観念に基づくものでもない。〈中略〉
 一年の計は年頭にあり。朕は朕の信頼する国民が、朕と心を一つにして、自ら奮い、自ら励まし、この大業〈国の再建〉を成就することをこいねがう』

 第2章で紹介した多くの文献を踏まえた上で、この天皇詔書を読むと、これは天皇の「人間宣言」である以上に、戦前・戦中の日本人を酔わせた「国体」思想を完全否定する内容であることがわかります。
 戦前・戦中の日本では「当然の前提」とされた、日本人優越思想とその背景を「単なる神話と伝説」や「架空なる観念」という厳しい言葉を用いて批判し、陋習としての「国体」思想からの訣別を、国民に向けて宣言しています。(p.222-223)

 「戦前・戦中の日本人を酔わせた「国体」思想」の普及に一役買った「第2章で紹介した多くの文献」は、文部省や軍部など公的な機関かそれに近い立場から刊行されたものである。従って、発言の権威の淵源を尋ねると、最終的には天皇に行き当たるはずだ。そうだとすれば、天皇は「厳しい言葉を用いて批判」したり「陋習としての「国体」思想からの訣別を、国民に向けて宣言」する前に、自身の名において、その「陋習」が強制された結果、国民に多くの犠牲が強いられたことに対して、慙愧の念を表白すべきではなかっただろうか。

 本書は戦時期日本の「空気」を理解するのに有効だが、疑問点がないわけではない。
 第1章で兵士の生命を使い捨てる日本軍の、他国の軍隊に見られない異質性を指摘して、その背景に「国体」が強いる犠牲の論理を挙げているが、呼称は変われど、民族・政体・理念など何らかの普遍的価値を守るために犠牲になるという思想は、近代国民国家に共通に見られる現象ではないだろうか。
 たまたま日本では〈万世一系天皇〉が守るべき超越的価値を表していただけで、例えば西洋であれば、社会契約に基づいた憲法とそれが体現する国家が、その価値に当たる。

ルソーの主張の核心は、本来、人の暮らしと安全を保障するために作られたはずの国家が、その根幹となる憲法を守るために人々に命を捧げるよう要求する背理を指摘することにある。だからこそ、人の暮らしと安全を守るためには、むしろ国家を、そして国家を構成する憲法を捨て去ることも必要となる場合がある。
 「国を守るために命を捧げた人に対して礼を尽くすのは当然」という言葉づかいがなされることがあるが、そこでいう「国」が何を指しているかを見極める必要がある。(中略)通常そこで指されている「国」とは、憲法によって構成された政治体としての国であって、それ以前の裸の国土や人々の暮らしではない。人々に死を要求し、しかも肝心な場面で国土や暮らしの背後に身を隠そうとする憲法の危険性を知ることは、憲法を考える第一歩である。(p.62-3)

 だとすれば大切なのは、犠牲の論理が「国土や暮らしの背後に身を隠」し、つまり私達の「文化や信仰」など身近で掛けがえのないものの「意匠」を纏って、こっそりと忍び込むことに対して、常に注意深く警戒し続けることだ。最後に自戒を込めて、太宰治が「家庭の幸福」(『中央公論』1948・8)に記した、「所謂民衆たち」に向かって「厚顔無恥の阿呆らしい一般概論をクソ丁寧に繰りかえすばかり」の「ヘラヘラ笑い」した官僚にぶつけた言葉を想起したい。 

あなたは、さっきから、政府だの、国家だの、さも一大事らしくもったい振って言っていますが、私たちを自殺にみちびくような政府や国家は、さっさと消えたほうがいいんです。誰も惜しいと思やしません。困るのは、あなたたちだけでしょう。何せ、クビになるんだから。