戦後70年談話の歴史語り

  去る8月14日に安倍首相による総理大臣談話が出された。閣議決定された「総理大臣談話」は、個人的見解を述べた「総理大臣の談話」と異なり、日本政府の公式見解として内閣が変わっても引き継がれるものという*1。つまり戦後70年談話は、単に日本政府の見解を表明したものではなく、どのような戦争認識に基づいて、どのように今後の戦後処理に取り組んでいくのかという方向性を示したものであり、実効性を伴った表明と考えられるだろう。

  外務省HPに全文が掲載されているが、一読して以下の2点に違和感を感じた。
  第1点は、注目されていた4つのキーワードの「植民地支配」という語句の扱いである。それは談話中で3箇所使われている(赤字ボールドで示した)。
平成27年8月14日 内閣総理大臣談話 | 平成27年 | 総理の指示・談話など | 総理大臣 | 首相官邸ホームページ

 (1)百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。(2)日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

(3)事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。

  (3)は、次の段落で「我が国」が「そう誓いました」とつながる。「そう」という指示語の内容は直前の段落を指す。だからここは日本が「武力の威嚇や行使を」「二度と用い」ずに、「植民地支配から永遠に訣別」して「民族の自決の権利」を「尊重」する、と誓っていることになる。
  そして「先の大戦への深い悔悟の念と共に」とある以上、「先の大戦」で実際に日本は「植民地支配」を行い「民族の自決の権利」を損なってしまった、という過去認識を含むはずだ。具体的には台湾・朝鮮・南洋群島などの植民地支配や中国大陸・南方占領地での過ちを認め、反省したという意味になる。
  では、そう述べた後半と、前半の(1)(2)はどうつながるのか。(1)は、押し寄せる西洋列強に抗するため、日本はやむなく近代化へと踏み出したという(福沢諭吉の「脱亜論」のような)議論であり、(2)日露戦争の肯定的評価である。
  いずれにせよ、ここで言及されているのは西洋の「植民地支配」で、日本のものではない。そして(1)(2)で日本の立場は、どちらかといえば受動的または肯定的に語られている。

  日本の「侵略」を反省したものと読める(3)と、日露戦争を肯定的に評価する(1)(2)は、明らかに整合しない。
  たとえば日露戦争を西洋植民地支配への抵抗として捉える見方は、かつて満州事変以降の大陸進出を正当化する論議に結びつけられた。南満州鉄道退職後、新聞社に務めたという綾川武治という人物が1936年に出した『満州事変の世界史的意義』という本では、日露戦争の意義を次のように述べている。

  日露戦争の勃発するや、その当初に於て、白人有色人を問はず、日本に対して悲観的の見方をするものが多かつた。(中略)然るに開戦となるや、一戦毎に日本勝利の報道である。(中略)この意外なる事実に接して、白人の間には、日本に対する驚嘆から恐怖へと移る感情の激動が起つた。(中略)一方全世界の有色人は、支那からモロツコに到る地帯、更に大西洋を越えて北米合衆国に至るまで、湧き上る歓喜欣躍の情抑ふべくもなかつた。(中略)日本の先勝に一大霊感を受けた世界有色人の間には、『日本の如く醒め、日本の如く努力し、日本の如く強くなれ』といふ声が、共通標語として一斉に起つた

  この著者によれば、満州事変はこの日露戦争の意義を受け継ぐものであり、それを現今の中国は理解しないものだとする。

満州事変勃発し、その東亜史上並に世界史上に於ける意義は、全く日露戦争の世界史的意義の発展に外ならず、東亜諸民族は、今回こそは、真に目覚めて、日本の国運を賭しての努力に対し理解と同情を持つべきものと考へしに拘らず、中華民国の態度は、依然として排日抗日欧米依存の継続であり(後略)

  「有色人」の意識の覚醒を唱えながら、実際には日本への「理解と同情」のみを求めている点に、その後の「大東亜戦争」に繋がる論理を見て取ることができる。
  歴史を語ることは、「過去にこのような出来事があった」という単なる事実の認定に止まらず、「過去にこのような経緯があった」だから「今後はこの文脈からこのようにするべきだ」と未来の振る舞いも規定するものだ。満州事変後に呼び起こされた「日露戦争」という過去は、同時代に進展していた大陸への進出政策を肯定する文脈を作り出すものだった。
  それを再び手放しで賞賛することは、かつてと同様の文脈を作り出そうとするものだという懸念につながる。

  第2点は「謝罪」に関する部分である。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりませんしかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります

  太字で示した後半には同意する。だが、逆接を挟んだ前半とどうつながるのか、正直なところ理解しがたい。戦争の「罪」と「責任」の関係については、次の高橋哲哉の議論が説得的だった。

「罪」を負うのはあくまで、その「行為」を行なった当人―戦争指導者や、戦争犯罪の責任者、実行者など―でしかありえない。戦争宣伝や戦争協力といった「行為」の責任も、それらを行なった人々自身が負うべきものであり、戦後世代がそれを「自動的に」引き継ぐことはできない。

大日本帝国が国家行為として行なった侵略戦争とその中でなされた戦争犯罪については、賠償・補償、公式謝罪、責任者処罰といった一連の戦後処理を果たすことが、大日本帝国の法的・政治的継承者である戦後日本国家に「戦後責任」として課せられる。これらの戦後処理を実際に行なうのは戦後日本政府であるが、政府はこれを国民の法的・政治的代表者として行なうのであり、政府がこれを実行するかいなかは、最終的には日本国家の政治的主権者である日本国民の責任に帰着する。日本国家が「戦後責任」を負うとは、国家の主権者である日本国民が「戦後責任」を負うことにほかならない。

  戦後世代の日本国民は、侵略戦争に参加していないので直接の戦争責任や「罪」は負わないが、戦後日本国家に「戦争責任」を果たさせる政治的責任を―「戦後責任」として―負っている。

歴史/修正主義 (思考のフロンティア)

歴史/修正主義 (思考のフロンティア)

  もちろんこれは自分を高見に置いて、ただ政府のあり方を批判だけしていればいい、というのではないだろう。戦場に行ったのは私の祖父や曾祖父かも知れないし、日の丸を振って送り出したのは祖母や曾祖母かも知れない。ごく身近な普通の人々が戦争に荷担していった以上、私もいつまた戦争に荷担するかも知れず、そのような大勢に没入しがちな自己への省察や検証を伴うものでなければならないだろう。