樋口陽一『個人と国家――今なぜ立憲主義か』

個人と国家 ―今なぜ立憲主義か (集英社新書)

個人と国家 ―今なぜ立憲主義か (集英社新書)

  2000年に刊行された本書は、現在の私達にとって多くの示唆に富む指摘を含んでいる。
  「立憲主義」といえば、礒崎陽輔首相補佐官ツイッターで「聴いたことがありません」と広言したのが記憶に新しい。また安保法案に反対したSEALDsの活動を「極端な利己的考え」と批判した武藤貴也・衆議院議員が、かつてブログで「日本国憲法が日本精神を破壊した」という主旨の発言をしたことも話題になっている。
  「右翼」「左翼」もそうだが、その言葉の定義や歴史性を曖昧にしたまま、賛同や批判の議論をするのは生産的ではないと思う。私は上記二人の意見に強い違和感を抱いたが、中高生時代のあやふやな知識しか持たないままだったので、確認のために本書を手に取った次第だ。

  前置きが長くなったが、筆者は「立憲主義」の土台である「憲法」について、次のように説明する。

  「憲法」という言葉には「法」という字が語尾にきます。そうすると、どうしても人々は書いたものを思い出す、あるいは条文を考える。(中略)そういう誤解を初めから防ぐために「立憲主義(コンスティチューショナリズムconstitutionalism)」という言葉の方がいいと思う。一つのイズムですから、世の中の組み立てについての一つの考え方です。
  コンスティチューショナリズムは、要するに権力に勝手なことをさせないという、非常にわかりやすくいえばその一語に尽きると言っていい。

  そういう意味で、「デモクラシーdemocracy」という言葉と対照してみるとわかりやすいでしょう。こちらはもともと言葉の語源としては、ギリシャ語のデモス(民衆)と、クラチア(支配)です。つまり民衆の支配です。実際は、民衆の名のもとにだれかの支配になるわけです。「民主主義」という言葉は、対抗するものが立ちはだかっているときには、専らそれを否定するという意味で積極的な意味を持っていた。立ちはだかるのは民衆の反対の君主で、君主の背後には神様がいました。西洋流に言えば王権神授説です。神が君主に権力を授けた。だから、君主は神の権威でもって人民を支配するのは当然だということになります。そういう王権神授説的な君主の支配をひっくり返すことが、まさに「民主」だったわけです

  今や民主の対抗物はなくなった。逆に現代の独裁政治、一党支配は決して民主を否定しなかった。スターリンは人民の名において人民の敵を粛正したわけですし、ヒトラーの率いるナチスは名前からして民族社会主義ドイツ労働者党ですから、やっぱり人民です。現実に彼は人民の選挙で第一党となって、ワイマール憲法を実質上ひっくり返してしまった。

  日常場面では「民主」という言葉は実は何事も語っていない。ごくわずかな例外を除いて、あらゆる政治体制が民主の名において説明されているからです。そうなってくると民主を名乗る政治権力も制限されなければいけないという「立憲主義が、一番のキーポイントになる。
  実はそのことが、少なくとも世界の先進国レベルで共通認識になったのは比較的最近のことなのです。というのは、かつては民主の旗によって世の中が進歩していくことへの幻想があった。だから、民主を推し進めれば進めるほどまっとうな世の中になっていくという期待があったのです。ところがいろいろな「民主」をやってみたけれども、しばしばそれは惨憺たる結果をもたらしてきた
  そこで「立憲主義」という言葉が思い出されてきた。なぜ「思い出されてきた」と言うのかというと、立憲主義という言葉は中世にさかのぼる古い歴史的過去を背負っているからです。

  「憲法」は「権力」を制限する仕組みである。制限されるべき「権力」には、かつての君主だけでなく、選挙に基づいた民主主義権力も含まれる。民主主義は独裁政治・一党支配に対する歯止めとなり得ないこともあるからである。だからこそ、「憲法」という「人間社会の秩序の構造」の中に、予め「権力」を抑制する内容を原理として書き込んでおかなければならない。
  このような「憲法」の性質を考えると、自民党や現政権がなぜ現憲法を目の敵にするのか理解できる。

  そのような仕組みが危機に瀕している点で、現在の情勢は予断を許さないものだが、筆者が「あとがき」で触れているユーゴスラビアミロシェヴィッチ政権終焉までの動き(ブルドーザー革命)についての記述は、わずかな希望を感じさせるものである。

ミロシェヴィッチ大統領(当時)は、二〇〇一年に任期が終わるのに先立って憲法改正をし、大統領選挙を直接選挙に切りかえて再選を可能にし、新しい制度のもとでさらに権力を独占しつづけようとした。同時に、セルビアとともに連邦を構成してきたモンテネグロの上院への議席割当てを人口比例にしてしまい、連邦制の実質を大幅に弱めた。七月に制度を変えて九月に選挙を設定し、野党の分裂に乗じて圧勝する手はずだったのである。野党がばらばらで反目しあい、それがミロシェヴィッチ長期政権を結果として支えてきたのだったから、この「憲法改正クーデタ」の目算は当たりそうに見えた。「民主」の名において立憲主義が決定的に押しつぶされようとし、憲法裁判所も無力というよりは政治追認の役しか果たせそうになかった。

  マスメディアと利権の構造が体制側ににぎられていても、部数は少ないとはいえキオスクで売られている野党系の日刊紙があり、地域単位でしか電波が届かないがラジオがあり、学生たちのゆるやかだがしなやかに強い「OTPOR!」(抵抗)の運動があった。戦後生まれ世代の知識人たちのさまざまなNGOの連帯があった。そして「民主」の名で「改憲クーデタ」をしてまで強行した選挙の結果を改ざんしようとしたとき、それに反撃したデモと大衆集会の波があった。
  こうして、七十八日間の空爆でもゆるがなかった権力が、交代するほかはなくなったのである。「民主」の名のもとに権力を固めようとした支配者が、法治国家の回復という声と、最後には「法治」の無視をゆるせないと立ちあがった「民主」の力によって、その地位を追われたことになる。「セルビア民族主義」を自分の権力を固めるために煽った前大統領(彼自身はモンテネグロ出身)と対照的に、新大統領は「誠実な民族主義者」といわれており、そこにまた、今後の路線選択をめぐる困難さと危うさがあることは否定できない。その場面ではまた、民族主義ポピュリズムの「民主」を抑える原理が、呼び出される必要が出てくるかもしれない。その点を含めて、ユーゴの事態の推移は、私たち自身をはじめとして、世界に教訓を示唆している。

  自己の権力強化のために民族主義を煽り、反対勢力を弱小化し、マスメディアも巧みに籠絡し、改憲に手を付けたユーゴの前大統領は、否応なく日本の現首相の姿と重なる。その盤石の政権が、法を蔑ろにしたことへの人々の怒りによって倒されたことに希望を持つ。

   *   *   *

  改めて武藤議員の文章を検証すると、憲法の精神に対する根本的な無理解に基づくものであることが分かる。
日本国憲法によって破壊された日本人的価値観。 | 武藤貴也オフィシャルブログ「私には、守りたい日本がある。」Powered by Ameba

  そもそも「日本精神」が失われてしまった原因は、戦後もたらされた「欧米の思想」にあると私は考えている。そしてその「欧米の思想」の教科書ともいうべきものが「日本国憲法」であると私は思う。 

  日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権基本的人権の尊重・平和主義」である。

  戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会がどんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。

  まず「国民主権」について。「国民主権」とは「国家の政策決定権は国民一人一人にある」という民主主義の根本思想であるが、長谷川三千子先生によれば、そもそも「民主主義とは、人間に理性を使わせないシステム」である。つまり民主主義が具体化された選挙の「投票行動」そのものが「教養」「理性」「配慮」「熟慮」などといったものに全く支えられていないからである。しかしながらこのことは、世界の歴史を見ると第一次世界大戦以前は常識であった。第一次世界大戦前は、民主主義はすぐに衆愚政治に陥る可能性のある「いかがわしいもの」であり、フランス革命時には「恐怖政治」を意味した。民衆が「パンとサーカス」を求めて国王・王妃を処刑してしまったからである。戦前の日本では「元老院制度」や「御前会議」などが衆愚政治に陥らない為のシステムとして存在していた。しかし戦後の日本は新しい「日本国憲法」の思想のもとで、民主主義を疑わず、またその持つ問題点を議論することなく、衆愚政治に陥ることを防ぐシステムもつくらず、ただただ「民意」を「至高の法」としてしまった。

  たとえ「民意」に基づくものであっても、権力の専制を許さない仕組みとして憲法があったことは、前掲の樋口著が述べた通り。従って「民意」に依ると自称しながら横暴を振るう政府に対しては、憲法を守らせるよう働きかけるのが正しい。
  そもそも選挙を「「教養」「理性」「配慮」「熟慮」などといったものに全く支えられていない」と否定することは、「民意」によって選ばれたはずの自身の職能を否定することになるのではないか。

  次に「基本的人権の尊重」について、議員は次のように書いている。

  次に「基本的人権の尊重」について。私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。「基本的人権の尊重」という言葉に表された思想の根底には、国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の「基本的人権」は守られるべきだという、身勝手な「個人主義」が存在している。従って、国民は国家や社会に奉仕することをしなくなり、その身勝手な個人主義に基づく投票行動が政治を衆愚政治に向かわせ、政治は大衆迎合するようになっていった。それは言うまでも無く「国民の生活が第一」を高らかに叫ぶ今の政治に如実に表れている。

  樋口著では、国家の存立基盤としての社会契約論について、次のように述べている。

  ホッブズが「人は人にとってオオカミだ」、だから契約を取り結び、力を国家に預けて、自分たちの安全を確保するのだ、という論理を組み立てたのが近代国家の原型です。(中略)ホッブズの言う国家は、あくまで個人の安全の確保という目的のために結ばれた契約の産物なのです。(中略)近代以前の身分制というがんじがらめのしがらみ、それから宗教という人間社会をもろに全部覆い尽くしてしまうような巨大な力、こうしたものに対抗しながら、近代国家というものが出てきます。
  その近代国家が身分制を壊し、宗教と政治のかかわりを整理することによって個人を解放する。社会契約の理屈からすると、これはフィクションとしての論理なのですけれども、まず個人があって国家をつくった。歴史的な事実関係からすると、個人を封じ込めていたものを国家がばらばらにして、いわば個人を創り出した。(中略)国家は、個人にとってはまず解放者だったのです。しかしこの解放者は、今度はひょっとすると全面的な支配者になりかねない。いったんそうなると国家が飛び抜けて強い存在になるわけですから、今度はその国家の出番を抑える国家からの自由が必要になってくる。だから個人の方から様々なルールをつくり――立憲主義ですね――国家を縛る。これが近代社会の描くモデル的なイメージです。

  そして植木枝盛の「抵抗権」についても、次のように説明する。

  理屈の説明としてのフィクションですけれども、人々は自分たちの権利をよりよく保全するために、社会契約を取り結んで国家をつくった。したがって国家には、その本来の契約の約束どおり仕事をしてもらわなくてはいけない。それをしなくなったような国家の統治者は退場願う、取りかえることができる、というわけです。
  取りかえようとしても引き下がらない場合には、最終的に契約違反に対する制裁として、実力をもってしてでも追い払うことができる、というのが抵抗権です。これは西洋の全く政党的な自由主義思想であって、別に危険思想でも何でもない。生まれながらの人権というものがあって、それを確保するための契約による公共社会の設定があって、契約違反の場合の最終的な反撃手段として抵抗権がある、という論理です。

  また議員が賛美する戦前の大日本帝国憲法についても、樋口著では次のように述べている。

  伊藤博文がすでに「そもそも憲法を創設するの精神は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保護するにあり」と言っています。君主の権力を制限する、それと裏腹で、臣民たりといえども――ご承知のように、明治憲法は人権という観念は認めないわけですけれども――権利を持つ。「立憲」という言葉の意味がそれとしてきちんと理解されていたのです。
  それから一〇〇年以上たった今、有力政治家たちが気軽に「日本国憲法」の問題点の一つとして、第三章の「国民の権利及び義務」、第一〇条から四〇条までを見ると義務の数がえらく少ない、権利に重く義務に軽い、ということを繰り返し言っています。これは一一〇年前の伊藤博文以前の感覚に戻っているのではないでしょうか。
  下からの憲法をつくろうという民間の要素があり、それを押さえつける形で帝国憲法をつくった指導者ですら、憲法をつくるからには主権者である天皇の君権すら制限するのだ、そしてその分臣民の権利を確保するのだということをきちんとわきまえていた。
  だからそういう憲法がつくられるや否や、今度は帝国議会衆議院藩閥政府に対抗する勢力の拠点となるわけです。

  武藤議員の認識では、まず国家という公があり、それが個人という私を保護している(守ってやっているor生かしてやっている、というイメージだろうか)、だから国家のためには個人の人権も必要によって制限されるべきだ、という論理である。
  だが近代国家の理念からすると、これは完全に正反対である。国家は個人の委託を受けて、よりよい社会を構築する義務がある。土台にあるのはあくまでも「個人」である。樋口著は次のように述べている。

  戦後、日本国憲法を手にした日本社会によって、日本国憲法の何がいちばん肝心なのか。それをあえて条文の形で言うと、憲法十三条の「すべて国民は、個人として尊重される」という、この短い一句に尽きています。
  これは権力が勝手なことをしてはいけないという、中世以来の広い意味での立憲主義が、近代になって凝縮した到達点です。個人の生き方、可能性を自由に発揮できるような社会の基本構造、これを土台としてつくってくれるはずのものが、憲法の持つべき意味だということです