トーマス・マン/渡辺一夫『五つの証言』

1929年 トーマス・マン「マリオと魔術師」執筆、ノーベル賞受賞。
1930年
 9月 ナチ党、国会選挙で12議席から107議席へと躍進し、第二党になる。
 10月 マン、講演「理性に訴える」でナチ党の台頭を警告する。
1932年 ナチ党、国会選挙で第一党になる。
1933年
 1月 ヒトラー内閣成立。
 2月4日 「ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令」制定。
  政府批判など集会・言論の自由への制限。
 2月10日 マン、ミュンヘン大学で講演
  「リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大」を行う。
  翌日より手荷物だけを持って国外講演旅行に出発。
  ナチ党より帰国差し止めを通告される。
 2月27日 国会議事堂炎上事件。
 2月28日 「国民と国家を防衛するための議事堂大統領緊急令」
 (議事堂炎上令)制定。
  基本的人権の停止とナチ党独裁体制確立。
 3〜4月 授権法(全権委任法)制定。
 7月 マン、スイスで亡命生活を始める。
  「ヨセフとその兄弟たち」刊行開始。
1935年 マン、論文「ヨーロッパに告ぐ」発表。
1936年 マン、ドイツでの財産没収・国籍剥奪。
 ボン大学名誉博士号を撤回される。
1937年 マン、「ボン大学への公開状」を発表。『五つの証言』刊行。
1938年 マン、アメリカ移住。

 本書は、第二次大戦前夜の暗い時代にあって、ナチスに抗議してドイツを亡命したマンの文章「ボン大学への公開状」「ヨーロッパに告ぐ」「イスパニヤ」「キリスト教社会主義」及びアンドレ・ジッドの序文を、フランス文学者の渡辺一夫が訳したものである。さらに渡辺自身の文章「寛容について」「文法学者も戦争を呪詛し得ることについて」「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」、中野重治との往復書簡、山城むつみの解説が収録されている。
 それぞれが時代の証言として意義深いが、ここではマンの言葉を中心に引用する。

(1)「戦争」という誤謬
 最初に好戦主義への徹底的批判。

 国家社会主義国家の存在理由及び最高目的は、専ら次の点にあります。ドイツ国民を「来るべき戦争」に曳きずりこみ、潜伏した反抗心の一切を容赦なく弾圧し、暴力を以てこれを艾除すること。この国民を化して際限もなく温順な戦争道具、いかなる批判的思想によっても弱体化されず、盲目的な狂信的な無智によってずるずると動かされて行くようなものに仕立てあげることであります。(中略)ただ戦争に対する完璧な準備の観念のみが、自由と正義と人間の幸福とを犠牲にすることを正当化し得るのみでありますし、この観念だけが、公然と或は秘かに行われた多くの犯罪の責任を、これらの人々がかくも平然として負うていることを説明し得るのです。(p.44)

 国家の最高指導者達は、「来るべき戦争」に巻き込むことで、国民を従順な「戦争道具」に仕立てあげようとする。「自由」「正義」「人間の幸福」といった、本来国家が国民に対して保護すべき普遍的かつ基本的な価値を、彼らが踏みにじって平気でいられるのは、戦争遂行という至上目的が掲げられているからである。「戦争」に勝つためには、全てが犠牲にされることが許される。
 そもそも「戦争」を遂行したがる好戦主義者は、目の前の脅威を取り除くには、まるで「戦争」以外の手段がないかのような物言いをする。戦わなければ我々の生命が失われるのだ。坐して死を待つ訳にはいかない。敵こそが侵略者であり、我々はただ自分達の生命を守るためだけなのだ。…等々。だが侵略を大義名分に掲げた戦争など存在せず、多くの戦争が自衛の名のもとに実行された。やられる前に、やれ! 暴力を正当化された人間が、いかに躊躇いなく他人を殺傷できるかは、過去のこの国の歴史も証明している。
 だから、「戦争」を手段の一つとすることが端的に間違いである。マンは「文化という語は、「戦争ハ断ジテ許容シ得ズ」という根本的な真理の認知を意味する」と述べている。「戦争」を許容することは、「真理」でない以上、誤謬である。なぜなら「戦争」は、ここに述べたような、思考の過度の単純化をもたらすからだ。

暴力と申すものは、実際、異常な単純化を行わせてしまう一原理である。しかしながら、結局のところ、この暴力は民衆の賛同を実に見事に集めてしまうものなのである。(p.63)

(2)「真理」への侮蔑
 戦争や暴力が、国民を無知で盲目的な戦争遂行のための道具に変えてしまうならば、それへの対抗措置は、自分で物を見、考えること、つまり「自己」を持つことに他ならない。マンはそれを「文化」と呼び、人間はそこに向けて自己を高めていく不断の努力をするべきだと述べている。

 文化! この言葉に対して世の人々は挙って嘲弄的な笑いを以て答えるが、この嘲弄は、恰も文化なる語が自由主義とブゥルジョワジーしか意味しないとでも言うように、ブゥルジョワ的自由主義の愛好するこの言葉に対して勿論向けられている。この文化という語は、今日も昔も、残忍と悲惨との反対、怠惰の反対、いかに鵞鳥式歩調[※引用者注 軍隊式行進のこと]を発明したにしろ放肆であることに変りないあの情けない放肆の反対、これを意味しているのではないだろうか? 文化とは、それが人生の形態、自由と真理との探求、良心の把持、絶えず更新される努力である限りに於いて、倫理的規律それ自体ではあるまいか?(p.55)

 他方でマンは、ナチズムを受け入れる土壌が、大衆の中にも既にあったとする。それは理性・真理・精神など、一切の人間的な価値への侮蔑の態度である。「大衆は理想主義及びこれに源流を汲む一切のもの、即ち自由や真理を軽蔑している」(p.60)。
 しかし、そのような「軽蔑」の淵源となった、ニーチェに代表される西洋哲学的な人間観への懐疑や批判は、マンによれば、あくまでより高い価値を求めてのものであって、価値そのものの無意味さを主張するものではない。「痛ましい厭世主義だとか、虚偽に対して譲歩するほろにがい皮肉な態度だとかいうものと、真理に対する無関心というものとの間には、大いな差異があるのだ」(p.65)。ゆえに例えば「カルル・マルクスは、理想主義者として、新らしい真理と正義との愛の為に、ドイツ理想主義の真理と倫理との観念と戦ったのであって、精神への軽蔑からのことではない」(p.66)。
 大衆が真理に代わって求めるのは「陶酔」である。マンは、青年層(ナチの突撃隊に参加した若者などを念頭に置いているのだろう)について、次のように述べる。

 人格の賦課から解放してくれる集団の陶酔が、ただそれ自体の目的となる。「国家」とか「社会主義」とか「祖国の偉大」とかいう、彼等が楯にとる様々なイデオロジーは、彼等にとって些かも本質的なものではないのである。それは口実にすぎないのだ。ただ一つの目的は、陶酔であり、自我や自己の思想を、或は更に正確に申せば、一般道念と理性とを厄介払いせねばならぬことになるのである。(中略)自己忘却、一切の個人的責任の解除から与えられる幸福感は、固より、戦争に特有なものである。(p.58)

 マンは、現代(同時代)の「哲学」なるものが、真理を敵視し、代わりに「神話」を称揚する(ローゼンベルク『二十世紀の神話』を念頭に置いているのだろう)ことを、次のように批判する。

 暴力と虚偽とを生活の根本原理とすることが、正しく思索の狂気に捕われた小市民階級の哲学なのである。(中略)彼等が徹底的に打倒したと信じ込んでいるヨーロッパ世界のあらゆる観念、即ち、真理、自由、正義などのうちで、彼等の最も憎悪するのは真理である。彼等は真理に「神話」を置き換えてしまう。この「神話」という言葉は、彼等の語彙のなかでは、英雄主義という言葉と同じくらい際立った役割を演じているのだ。(p.72)

 このような「反知性主義」の持つ「危険」、「理性の蔑視は道念の荒廃を伴う」(p.66)こと、その帰結は「戦乱であり、最も全面的な破局であり、文明の終焉である」(p.75)ことに、マンは繰り返し警鐘を鳴らしている。

(3)ヨーロッパのユマニスム
 マンにとって「精神」は、「人間が人間となって以来、単なる動物以上のもの」たる所以であり、「人間の定義」の根幹をなすものである(p.91-2)。そして「精神」とは、言いかえれば「絶対性の観念」を持つことである。

 絶対は、真理、自由、正義の観念のなかで人間に提出されて居るのであって、これらの観念は疑いもなく実現不可能なものではあるが、これらの観念があればこそ自然を矯正し得るのである。(p.92)

 この「自然を矯正」するという言い方は、芸術の使命としても使われている。「芸術は、人間性を自然に滲透せしめること、創造行為によって人生を高貴ならしめ豊富ならしめるのに必要なものをその自然から摂取すること」(p.96)。つまり芸術の使命も、同様に精神性を自然の中で実現することにある。
 そして、マンにとって芸術は、精神と物質(自然)を繋ぎ合わせる綜合的な営みであり、芸術を社会や国家(物質的外的世界)に従属させようとしたり、逆に芸術を純粋に内的なものに限定し、外的世界と切り離そうとする態度を厳しく批判する。

 芸術を政治的及び社会的なものと切り離すことは許されて居らぬのです。人類は一つの総体であり、その各部分は連帯関係で繋がれているのであります。従って、人間生活のたった一つの形態に全体的性格を附与しようとしたり、ある一つの形態の国家なり政治なりへ他の一切の国家や政治を従属せしめてこれに全体性を与えようとしたりすることは、一個の犯罪となるに相違ありませぬ。(p.40)

 全体主義国家に芸術も組み込もうとする目論見を一蹴する反面、マンは返す刀で、芸術を社会事象と切り離すことで孤高の存在として守ろうとする態度や、物質的土台の上に築かれた単なる「上部構造」とする狭隘な唯物論も攻撃する。

 内的生活の世界や形而上学や宗教に比べると政治的社会的事実は第二義的なものだという考えは、人間として人生に背反した誤った態度だということである。今日、価値判断によって、個人の内的生活の領域と社会生活の領域とを対立させるわけにはゆかない。
(中略)
 政治的及び社会秩序は、人間的なるものの一部分でしかない。人間のなかでは、内的世界と外的世界とが一つになっている。人間的なものの総体のなかへ、政治的社会的事実を正しく位置させようという努力をしている芸術家は(中略)唯物主義的観念に従って専ら快楽を追求しているだけだとかいう非難を加えられたところで、そう易々と心を紊されるものではないのだ。(p.95)

 こうしてマンは、「ヨーロッパのユマニスム」が本来の姿に立ち帰り、「狂信主義」に支配されている現況に、「精神」の戦いを挑むことを求める。

 一切のユマニスムのなかには、脆弱な一要素がある。それは一切の狂信主義に対する嫌悪、清濁併せ飲む性格、また寛大な懐疑主義へ赴く傾向、一言にして申せばその本来の温厚さから出て来る。そして、これは、ある場合には、ユマニスムにとって致命的なものともなり得る。今日我々に必要かもしれないのは、戦闘的なユマニスム、己が雄々しさを確証するようなユマニスム、自由と寛裕と自由検討の原則がみすみすその仇敵どもの恥知らずな狂信主義の餌食にされてしまう法はないということを確信しているユマニスムであろう。ヨーロッパのユマニスムは、更生して、その原則に戦闘力を取り戻させることは出来なくなっているのであろうか? 自覚することも出来ず、その生命力を恢復せしめて闘争への準備をすることも出来ないとあらば、その時には、ユマニスムは滅び去るであろうし、それとともにヨーロッパも滅び去るであろう。