ダグラス・スミス『憲法は、政府に対する命令である。』

 日本国憲法施行70年に当たる今年の5月1日、安倍晋三首相は「この節目の年に必ずや歴史的な一歩を踏み出す」と宣言し、改憲に向けての具体的な行動を起こす姿勢を見せた*1。周知のように自民党は、2012年に日本国憲法改正草案を発表しており、首相も最高顧問の一人に名を連ねている。ただしこの草案には多くの問題点が指摘されており、今回も「そのまま提案するつもりはない」という。3日には日本会議系の集会で「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」というメッセージを寄せ、明確なスケジュールを示した*2
日本国憲法改正草案 | 自由民主党 憲法改正推進本部
 今後どのような動きになっていくのか、注視していく必要がある。かつて首相は「憲法の性格」を問われて「国家権力を縛るものだという考え方」は「王権が絶対権力を持っていた時代の主流」であって、今「憲法は日本という国の形、理想と未来を語るもの」だと答えたことがある(平成26年2月3日衆議院予算委員会)。
 首相の憲法観が、どのような動きに繋がっていくのかは不明だが、「国家権力を縛る」という部分を無視して、自分達の「理想」を語るものとしてだけ憲法を位置付けるのは、明らかに危険な兆候だ。本書の著者が簡潔に述べるように、「憲法とはそもそも[※権力者に]押しつけるもの」だからである。

増補 憲法は、政府に対する命令である (平凡社ライブラリー)

増補 憲法は、政府に対する命令である (平凡社ライブラリー)

 本書は「日本国憲法で述べられているのは、どのような事柄か?」だけでなく、「そもそもなぜこのような事柄が憲法によって規定されなければならなかったか?」を、政治学歴史学の知見も辿りつつ論じたものである。目次は下記の通り。
  第一章 憲法が国の形や人びとの生活を決める
  第二章 国民には、憲法に従う義務があるか
  第三章 前文の「われら」とは、誰のことか
  第四章 日本国憲法は、誰が誰に押しつけた憲法なのか
  第五章 押しつけられた第九条と安保条約の意味
  第六章 人権条項は誰のためにあるのか
  第七章 思想・表現・言論の自由はなぜ必要か
  第八章 平等のさまざまな意味
  第九章 政治活動は市民の義務である
  第十章 政教分離はなぜ必要なのか
  第十一章 憲法の原則を変えることは、もはや「改正」ではない
  付論  自民党憲法改正草案は、国民に対する命令である

 冒頭で述べるように、筆者もまた憲法が「国の形」を定めるものであることを強調する。

 憲法とは、国の政治を形づくるものである。そういう意味で、国の憲法の影響はきわめて大きい。
 私たちが気がつかなくても、私たちの生活、生き方、文化、意識、そして私たち自身のアイデンティティのすみずみにまで憲法は影響を与える。したがって、自分の国の憲法を理解することは、自分のいる場所、自分が囲まれている状況、そして、自分自身のことを理解することにつながる。(第1章)

 では憲法から影響を受ける「私たち」とは何であろうか。筆者は前文の「日本国民」(英文では「We」)という人称に着目する。参考に英文を挙げると、We, the Japanese people [...]do proclaim that sovereign power resides with the people and do firmly establish this Constitution. となる。これについて筆者は

 最初の言葉は「We」である。その次の言葉は、この「We」とは誰のことか、という疑問に、「the Japanese people」と明記して答える。
 この英語にはさまざまな和訳が可能だ。つまり「日本人」、「日本の人民」、「日本民族」、「日本の民衆」。しかし、結局「国民」が採用された(じつは外務省の最初の翻訳では、peopleを「人民」にしていた。しかし、しばらくしてから「国民」に直した)。そしてWeは最初の言葉であったが、「われら」は後へ回された。その代わりに最初の言葉は「日本(国民)」になった。それによって、最初の印象がだいぶん変わった。
 日本国憲法主権在民憲法だが、その「在民」の「民」を「国民」にしてしまうと、微妙にだが、ニュアンスが変わる。
 前文の「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」は、ピープルが憲法=政府をつくる、ということをはっきり表現する。しかし、「国民」という言葉にすると、もっと深いレベルで「国」が「民」をつくっている、というような含意も感じることになる。

と述べている。

 憲法は政府の権力・権限を制限するものである。(中略)自己の権力を自ら制限しようとする政府はほとんど存在しない。したがって、もっともいい憲法の場合とは、民衆が立ち上がって、その政府の絶対権力を奪取し、それを制度化するために憲法を制定する、というような過程でてきたものである。(中略)問題は押しつけ憲法かどうか、なのではない。誰が誰に何を押しつけたのか、ということである。

 占領軍と日本の民衆が政府に押しつけたのは、何だったのか。一言でいうと、政府の権力・権限の制限である。(中略)日本国憲法には、権力の上から下への流れ、権力を支配者から奪い民衆に渡すという流れがある。(中略)第一条から第四〇条までの条項のほとんどが、中央政府の権力・権限を減らす条項である。第一条から第八条までは、天皇の権限を減らす条項である。第一一条から第四〇条までのほとんどは、法治主義基本的人権に関する条項である。
 人権条項は、政府の権限を減らす条項とはあまり思われていないのかもしれない。しかし、実際にはそうなのである。
 たとえば、言論の自由の保障は、もし、誰かが政府にとって気に入らないことを話しても、政府にはその人を逮捕したり処罰したりする権限はない、という意味である。結社の自由は、人が政府を批判するために集まっても、政府はその人たちを逮捕し処罰してはいけない、という意味だ。
 もう一つ、権力の下への流れがよく見えるところは、地方自治の条項だ。第九二条では、地方に関する法律は「地方自治の本旨に基いて」定めなければならないと規定している。つまり、政府は地方自治体の意思を尊重しなければならない、ということだ。


 政治家は権力欲があるから政治家になるのである。その政治家が成功し権力の座に座ると、権力を制限する法の手続きをわずらわしく感じるのは当然だろう。そして、そのような憲法の条項を一時的に無効にする法律(たとえば、有事法制戒厳令)、あるいは、永遠になくす憲法改正、を求めるようになる恐れがある。
 したがって、憲法を守る仕事を政治家に任すことはたいへん危険である。
 やはり、下からの果てのない圧力・押しつけが必要なのである。(第4章)

 筆者は、憲法を約束や宣言と同じような行為遂行的発言と捉えた上で、現行憲法は「主権が人々に備わるものであることを宣言し、この憲法をしっかりと創設する」のが義務であると述べている。

*1:「安倍首相「改憲の機は熟してきた、必ず一歩を踏み出す」」(『朝日新聞』2017・5・1)http://www.asahi.com/articles/ASK515V5JK51UTFK00R.html

*2:憲法改正「2020年に施行したい」 首相がメッセージ」(『朝日新聞』2017・5・3)http://www.asahi.com/articles/ASK534KF0K53UTFK002.html