橋本治「誰が彼女を殺したか?」

 橋本のこの有吉佐和子論は、個人的な交流のエピソードを交え、彼女の急死直後にマスコミで出回ったスキャンダル(「笑っていいとも!」テレビジャック事件のこと。現在ではテレビ局側の依頼によるヤラセだったことが分かっている*1)への反駁という形を取りつつ、その文学の本質を明らかにするものとなっている。有吉作品からの引用も、「よき読者」を自任する筆者だけあって鋭い。
 橋本には一貫して、自明の権威であぐらをかいてぬくぬくとしている人々、つまり「既に出来上がっちゃった人達」への強い憤りがある。その人達は、自分の安住する制度が、どのような排除や抑圧の上に成り立っているのか、決して見ようとしない。その一番の代表例が、「男」である。ただし、この「男」は、必ずしも生物学的な性別と一致しない。橋本は別の文章で、“女性もオジサン化する”と言っていたように記憶する。“オジサン”あるいは「男」とは、自分達を支える前提・制度について「『もうどうでもいいじゃない』とうそぶいていられる人達」のことである。
 このような人達を、この文章では「エスタブリッシュメント」と呼ぶ。そして有吉は、日本の「エスタブリッシュメント」=「男」に対して徹底的に余所者だったからこそ、その社会の欠陥・問題点を見ることができたのだ、というのが橋本の論点である。

 ジャワの邸宅で幼時を過した有吉さんは、一旦日本に帰って来ます。ジャワのお屋敷でお姫様暮しをして、そしてそれでも「日本というのはこんなものではない、もっともっと夢のように素晴らしい国だ」と言われ続けていました。でも、そう言われて日本に帰って来た女の子が見るのは、ジャワの最下等の民衆よりももっと貧しく汚い日本の農民の姿でした。そのショックが「こんなことでいい筈はない」という形で彼女の胸に刻みこまれ、後に『複合汚染』の著者という形になっても表われます。有吉佐和子という人は、そういう形で社会的関心を持続させた人です。
 そして有吉さんは女性です。(中略)既にして出来上がってしまった男達の社会に対して「こんなことでいい筈がない!」と問題意識を突きつけて来るこの親子は、やはりハタの人間にとっては煙ったい存在ではあったでしょう。
 そして、有吉佐和子という人は、二十五歳の時に『地唄』という作品で『文学界』新人賞候補、芥川賞候補に挙げられた作家です。当時のことを有吉さんは、僕にこう言いました――「私はあの頃、男の嫉妬というものがどんなにすごいものかはっきり見た」と。
(中略)
 既に出来上がってしまった現実に対して筋を通して生きて行こうとする女に対して、世間の風当たりというのはやはり強いと思いますね。ある意味でそれは、世間から逸脱して生きていくことですからね。そして、女であるということは、それ自体が男の作った基準から逸脱しているということでもありますからね。

真砂屋お峰 (中公文庫)

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断弦 (文春文庫)

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地唄・三婆 有吉佐和子作品集 (講談社文芸文庫)

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華岡青洲の妻 (新潮文庫)

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複合汚染 (新潮文庫)

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紀ノ川 (新潮文庫)

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香華 (新潮文庫)

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芝桜(上)(新潮文庫)

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芝桜(下)(新潮文庫)

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恍惚の人 (新潮文庫)

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悪女について(新潮文庫)

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有吉佐和子の世界

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