戦争を語る文体――大岡昇平『レイテ戦記』
大岡昇平『レイテ戦記』を読んだが、単なる事実の羅列ではなく、戦争を文学において捉えるための一貫した方法意識に貫かれているのに驚いた。
それは簡単にいえば「兵士」の目線で戦争を書くということである。自作を語った「『レイテ戦記』の意図」(『大岡昇平全集』16 所収)の中で、大岡は近代の戦争文学というものが、徴兵制と不可分であると指摘する。
今日の戦争文学というのはこの徴兵制度が出来てからといえるんです。戦争の話は元は軍人の書いたものだけで、どこでどういうふうに戦ったかということだけです。(中略)そこに人間が出て来る。人間の問題が出て来るのは、徴兵ということが始まって、普段はわれわれと同じような生活をしてて、つまり人を殺してはいけないという法律の中で暮らしている者が戦場に引っぱり出されて人を殺さなければならないというところに立たされる。また、ふだんとは違った多くの悲惨な異常なことが起こって来る。それを前にした人間の告白になって来ます。
国民はみんな寄って国を作っている以上国からこうしろと求められたら、一応それに従う必要がある。これも一つの倫理ですけども、人間はそれぞれ自分の良心に照らして、こういうことをしてはいけない、こうしなければならないという道徳律を持っているわけです。国家の倫理と個人の倫理が争う場面が出て来ます。ここから文学の領域に入って来るのです。
「国家の倫理」と「個人の倫理」の相克こそが戦争文学のテーマであり、そこからは「個人の倫理」に基づいて国家の有り様を問い直す視点さえも生まれてくる。
戦場での個人、つまり「兵士」の目に戦争はどう映るか。いや、そもそも「兵士」にとって戦争はどのような存在だったのか。あくまで「兵士」の立場に執着する大岡によれば、戦争を記述する多くの戦記の文体は、実際に戦争を動かした「兵士」の目線を無視したものに感じられる。
山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防衛した、という文章はナンセンスである。真珠湾の米戦艦群を撃破したのは、空母から飛び立った飛行機のパイロットたちであった。レイテ島を防衛したのは、圧倒的多数の米兵に対して、日露戦争の後、一歩も進歩していなかった日本陸軍の無退却主義、頂上奪取、後方攪乱、斬込みなどの作戦指導の下に戦った、十六師団、第一師団、二十六師団の兵士たちだった。(上)
だからこそ大岡の書く「戦記」では、「兵士」が見、感じたものを明らかにするため、詳細な日時・場所・数字にこだわろうとする。
私はこれからレイテ島上の戦闘について、私が事実と判断したものを、出来るだけ詳しく書くつもりである。七五ミリ野砲の砲声と三八銃の響きを再現したいと思っている。それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。(上)
大きな戦争の歯車の動きから見れば、リモン峠のような局地の作戦計画など、いずれ五十歩百歩だったといえる。しかしそれは現にその場にあって戦っている将兵にとっては、生きるか死ぬかの問題であった。師団参謀の立てる作戦、前線指揮官の発する攻撃命令は、直接兵士の生死に繋がる。私がリモン峠の諸隊の行動を逐一報告しなければならないのは、それが壕の中にうずくまった兵士の生死に関係しているからである。(中)
大岡がまたこだわるのは、「兵士」達の個性だ。彼らはおしなべて均質な存在だったのではない。当たり前のように、それぞれ特異な性情を持ち、それは少なからず実際の戦闘に影響を与えた。だが、大局的・鳥瞰的な「戦記」では、そのような不均質さは無視され、ただ人数としてのみ捉えられる。
兵隊の中には神経の鈍い、犯罪的傾向を持った者がいた。石のように冷たい神経と破壊欲が、あくまでも機関銃の狙いを狂わせないこともあった。与えられた務めを果たさないと気持の悪い律儀なたちの人間も頑強であった。普段はおとなしい奴と思われ、大きな声でものをいわない人間が、不意に大きな声を出して、僚友をはげましたりした。
戦争の物語は昔からこういう人間とは反対の気質の人間によって書かれている。戦略とか作戦とかに関して、戦闘の原因結果が物語的に追求される。諸葛亮とか真田幸村とか、智将がいないと戦争の物語は成り立たない所以だが、しかし実際の戦闘は、作戦とか忍者とかは縁のない体質を持った人間によって行われるのである。こういう人間は一兵卒から将軍に至るまで、軍隊のあらゆる階層に分布していて、しばしば戦闘に作戦や物語とは全然違った経過を与える。(上)
大岡が「戦記」を文学の問題として捉えていたと分かるのは、この「戦争の物語」に対する批判だ。「山本五十六」「山下将軍」「諸葛亮とか真田幸村とか」といった、特権的な存在だけが戦局を左右し、「兵士」は一律にただその意志に従うだけのように描かれる「物語」。
確かにそれは魅力的かもしれないが、大岡は戦争の現実をとらえていないと批判する。そして、そもそも当時の指揮官達自身が、そのような「物語」にとらわれていたとする。
桶狭間の奇襲とかタンネンベルクの殲滅戦とかいうお伽噺で頭が一杯になっていた参謀の作戦計画は、こっちがナポレオンのような天才的奇襲を仕掛ける間、敵は何もしないでじっとしているだろう、という予想のもとに成り立っていた。こっちがこう出れば、あっちはああ来るかも知れないと想像することが出来なかったのである。(上)
「物語」への批判という基本的な態度において、従来の「戦記」に対する欠点の指摘という文学的課題と、実際の日本軍の作戦に対する否定とが合致する。ここにこそ、文学者・大岡ならではの戦争への向き合い方があるのではないかと思う。
『レイテ戦記』には、当時の日本兵は「よく戦った」という表現がある。それは、ここで見たような非現実的な「物語」=「お伽噺」に基づいた作戦に従事させられながら、その場その場で奮闘した「兵士」への鎮魂の思いを込めたものであり、決して日本軍そのものの肯定には結びつかないと考える。
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