「カズオ・イシグロ 文学白熱教室」
ノーベル文学賞受賞に合わせて再放送されたのを見ることができた。
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最初にイシグロは「私達はなぜ小説を読むのか」「自分はなぜ小説を書くのか」という、小説の存在意義を問いかけ、6つのテーマに沿って話を進めていく。
(1)記憶の定着
5歳まで長崎で育ったイシグロは、渡英後も記憶の中にだけ存在し、次第に薄れていく「日本」のイメージを保存したいと思い、最初の2作『遠い山なみの光』『浮世の画家』を書いたという。2作は相応の評価を得たが、あくまでも「日本人はこのように感じたり考えたりするのだ」というエキゾチックな対象としてしか扱われないのが、普遍的なテーマを目指した自分としては不満だった。そこで次作では、同じイギリスを舞台にした小説を書くことにする。
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第3作『日の名残り』は、舞台設定を第二次大戦後のイギリスに移したが、物語自体は第2作と異ならないという。ここでイシグロは、一つの問題に突き当たる。小説の舞台設定やジャンルは可変的なものだということだ。そこで、自分が小説を執筆する時は、アイデアを2〜3行の文にまとめ、そのアイデアが一番活かせそうな背景を選ぶという。第6作『わたしを離さないで』は、そのような理由からSFというジャンルが選ばれた。
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そもそも私達には別世界へ行きたいという強烈な欲求がある。そして、矛盾するようだが、別世界の物語を読みながら、これは自分のことだと自己発見することがある。
(4)記憶と嘘
イシグロは登場人物の記憶を通して物語が語られるという形式を好む。それは、個人であれ集団で有れ、記憶が他者や自分をだますことがあり、そこに関心があるからだという。「私達は、最も真剣で大切な時に嘘をつく」という断言も興味深かった。嘘は人間の社会性と関係しているとも。
ここでフロアから、「過去の歴史的犯罪を忘却することについてどう思うか?」といった主旨の質問があった。これに対してイシグロは、大変慎重に言葉を選んで、一概に答えを出すべきではなく、個々の事例を検討していくしかないと述べたうえで、第二次大戦後のフランスを例に挙げた。フランスではナチス占領下に多くのレジスタンスが同じフランス国民に密告されるという事態が起き、それは戦後の国民に大きな遺恨を遺した。そこでド・ゴールは国民統一のため、「フランス人は全員ナチスに抵抗したレジスタンスだった」という大きな物語を作った。イシグロは、国民同士の対立・分裂を避けるためには、この選択は必然だったと考えているようだ。そしてその上で、「いつ直面したくない過去と向き合うべきなのか」考えなければならないとも述べた。最新作『忘れられた巨人』は、そのような記憶と忘却をテーマにしているという。
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小説全体が一つの隠喩として機能することがある。例えば『日の名残り』では、主人公の執事は、〈自分の感情を表面に出すことへの恐れ〉〈仕事という限られた世界でのみ生きており、社会や歴史全体の大きな動きに直接関与しない一般人の生〉の2つの隠喩となりうるという。
(6)嘘とフィクションの違い
これらを踏まえて、最後にイシグロは嘘と小説の違いを述べた。嘘は人を惑わすものであり、例えばプロパガンダやセンチメンタリズムのように、「人生を現実より楽だと思わせるもの」だという。ここは色々と誤解を招きそうな表現だが、個人的には、現実を過度に単純化し、一見分かりやすそうな答えを出して見せることで、人を真実から遠ざけるもの、と理解した。ハッピーエンドは良くない、とか、文学は常に深刻ぶっていなければならない、ということではあるまい。
それに対して、小説(フィクション)は、「事実ではない作りもの」である。つまりそこには内的な構造があり、その目的は真実を表現することになければならない。ではその真実とは何か、といえばある心情・感情を伝えることであるという。イシグロは、他作家の作品を読む時も、「このような感情を理解させてくれてありがとう」と感謝を抱くという。ルポルタージュやノンフィクションにも価値はあるが、その時々の感情までは書き入れられない。小説という形式だけが、ある特定の状況下での、ある特定の人物の心情を、ありのままに描くことができる。その結果として、私達は自己の感受性を拡張したり、現実世界では曖昧にしか捉えていなかった自己の感情についても、より深く把握することができるようになる。つまり自己発見と自己拡張が、小説を読んだり書いたりする意義になる、ということなのだろう。