『池田澄子句集』
日常に使う口語で俳句を作るのは、文語より難しいと前エントリーで取り上げた千野帽子の著書にあった。その著者が、「私を俳句の世界にかっさらった句」と述べるのが、池田澄子の次の句。
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
文字通り、蛍の述懐というフィクショナルな設定の句として読めるし、蛍を見る句の作者(必ずしも池田澄子自身ではない)が、蛍のモノローグとして仮構した言葉とも読める。その場合、例えば「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る」(和泉式部)から連想するような、蛍を自分の魂の分身と見て、そこに自分の気持ちを仮託する人物のイメージも浮かんでくる。しかも、歌が我が身からさまよい出る思いの深さを詠んでいるのに対し、句の方では生まれ変わりという重大事が「じゃんけん」で決まるという、突拍子もない発想を抱いているのが面白い。
なお、私の心に突きささって離れない句はこれ。
藤壺の生死のほどがわからない
フジツボの生死が気にかかるって、どんな状況?(ちなみに中国では「藤壺」が元の表記らしい。フジツボ - Wikipedia手元の歳時記には載ってないけど、「藤」で春?)
普段使う言葉で作られているが、日常生活のハシゴをふっと外すような句が多い。その中でいくつか共通するテーマをまとめてみた。
○道に迷う
夏草やなくなりそうに道つづく
汲みごろの小滝よ近寄る道がない
蝶よ蝶よと道を逸れると道に出た
○見失う
瞬いてもうどの蝶かわからない
潜る鳰浮く鳰数は合ってますか
○時間・空間の経過(アキレスと亀的な)
的はあなた矢に花咲いてしまいけり
コスモスや放った石が落ちてこぬ
これ以上待つと昼顔になってしまう
蓬摘み摘み了えどきがわからない
目覚めるたびベッドが古くなっている
○風流が成り立たない日常
桜の下散るか散るまで待てません
花の盛りの花のまったく見えぬ窓
想像のつく夜桜を見に来たわ
卯の花腐し近辺に卯の花はなし
○二人という他人の関係
誘蛾灯目を合わせずに二人で居る
屠蘇散や夫は他人なので好き
定位置に夫と茶筒と守宮かな
- 作者: 池田澄子
- 出版社/メーカー: ふらんす堂
- 発売日: 1995/06/01
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