農業と文学

日本の近代っていうのは「個人が口をきいてもいい」ってことになったと青年達が思った時代だと思うんだ。それだから、みんな不器用に一生懸命口きいて“近代文学”なんてものが生まれたと思うんだけどさ、不思議っていうのは、ここに農民出身の作家っていうのがいないってことなんだよね。農民文学っていうジャンルはあるらしいけれども、そこにはあんまり有名な作家はいない。

  普通の頭で考えれば、貧しさが世の中全体への疑問というものを生み出して、それが人間を作家としてスタートさせるなんていうことは当たり前にあって、貧しい農家なんていうものは日本中にごろごろ存在してるんだから、農業出身の作家なんて全然当たり前にいたっていい筈なのに、それが皆無に近い。(中略)“農耕的”あるいは“農民的”な知性が、実のところ日本のどこにもないっていうことなんだから。

  たとえば、農民出身の作家志望の人間がいたとして、それが作家になるパターンというのは、実はひとつしかない。都会に出て来てプロレタリアートという労働者になることね。“都市”“労働者”っていう、西洋近代に由来するものしか、個人に口を開かせないっていう不思議がここにある。(橋本治『江戸にフランス革命を!』中)

  農民文学については日本大百科全書(ニッポニカ)の記述参照。
農民文学(のうみんぶんがく)とは - コトバンク

  日本の近代文学作品のなかに農民や農村が描かれるようになるのはほぼ1900年(明治33)前後、国木田独歩田山花袋島崎藤村ら後の自然主義系作家あたりからである。ついで伊藤左千夫長塚節ら写生文系の作家も農民の生活や農村の風物を取り上げるようになる。日露戦争後の真山青果『南小泉村』、中村星湖『少年行』などは当時の代表的な作品で、とりわけ長塚節の『土』は日本農民の典型を描いて農民文学の一つの頂点を示した。その批評文のなかにはすでに「農民小説」などの語も見当たるが、一方、片山正雄の『郷土芸術論』などドイツの「郷土芸術」の紹介も、千葉亀雄や大槻憲二らに受け継がれて次代への伏線となった。大正期に入ると、有島武郎宮沢賢治による優れた農民文学も現れている。  1923、24年(大正12、13)のころ、農民文学は農民の立場の主体的な表現を求める文学としていっそう自覚的、意図的になり、農民文学運動として展開する。1922年暮れ、小牧近江、吉江喬松、山内義雄、中村星湖らによって企てられたフランスの作家シャルル・ルイ・フィリップ十三回忌記念講演会がきっかけとなって同好の士の糾合が呼びかけられ、これがやがて吉江、中村および犬田卯らのほか加藤武雄、白鳥省吾、石川三四郎和田伝中山義秀、帆足図南次、鑓田研一、黒島伝治、佐左木俊郎らを会員とする農民文芸会に発展、同会編になる『農民文芸十六講』も刊行され、27年(昭和2)には機関誌『農民』も創刊された。同じころ黒島は別に『地方』(『地方行政』の改題誌)に深くかかわってここをも農民文学運動の一つの拠点としており、また26、27年のころには『早稲田文学』『文芸戦線』『文芸』『文章倶楽部』などが競って農民文学特集号を編み、加藤武雄、木村毅、藤森成吉編の『農民小説集』も出されるなど、大正末・昭和初年の農民文学運動は文壇のかなり深部にまで浸透した。
  運動始発後の農民文学は大地主義、郷土芸術、地方主義、土の芸術、土民芸術等々と称され、総じて反近代主義、反都会文学を標榜していたが、大正末・昭和初年の思想界の混乱は農民文芸会の内側にも持ち込まれて会は分裂を重ね、雑誌『農民』は犬田卯、加藤一夫、鑓田研一ら重農主義的な農民自治派によって続刊されていくことになる。一方、立野信之中野重治細野孝二郎、本庄陸男、江口渙、黒島伝治小林多喜二、徳永直、上野壮夫、壺井繁治らによってプロレタリア文学運動内で実質的に積み上げられてきた農民文学は、たまたま1930年のハリコフ会議で採択された決議に基づいて日本プロレタリア作家同盟内に特設された農民文学研究会を背景に、プロレタリア文学運動の一環として展開、『農民の旗』が編まれたほか、『綿』の須井一(本名谷口善太郎、別名加賀耿二)らを送り出した。しかしこれもプロレタリア文学運動自体の壊滅によって曲折し、かえって転向文学や社会主義リアリズムの文学のなかに結実することになる。平田小六『囚はれた大地』、伊藤永之介『梟』ほか、島木健作『生活の探求』、和田伝『沃土』、久保栄『火山灰地』などはこのころの作品である。38年には農民文学懇話会が結成されて日中戦争下の農民文学盛行を招き、いわゆる生産文学に傾いた作品も多いが、打木村治、岩倉政治らによる地道な作品もある。
  第二次世界大戦後は、和田伝、伊藤永之介らによって農民文学会が結成され、機関誌『農民文学』も創刊されるが、それとは別に、きだ・みのる、壺井栄住井すゑ深田久弥、山代巴、深沢七郎木下順二、西野辰吉、水上勉らが独自な立場から農民文学に新しい視点を加えている。[高橋春雄]