原田正純『豊かさと棄民たち―水俣学事始め』

  昨年亡くなった原田正純氏の著書。言うまでもなく長年にわたり水俣病に関わって来られた医師であり、市内の大手書店では、必ず氏の著書のコーナーがある。関西からこちらに越してきて、地元における意識の持ちようの強さを感じた。テレビのローカルニュースでも小特集を組むことがある。
原田正純 - Wikipedia
  本書を読んで感じたのは、震災と原発事故の後に噴出した現代日本の問題は、水俣のケースにより先取りされていたのではないかということ。
  地方の問題、学問と専門家の在り方、産業と環境に対する意識、差別と貧困…それらを別個にとらえるのではなく、互いに相関し合ったものとして考え、解明し解決に向けていこうとするのが、氏の提唱した「水俣学」だったのだろう。だからそこには、この分野の権威というものはないし、分析する医師=専門家と分析される患者=対象という垣根もない。
  「水俣病は一地方に起こったお気の毒な特殊な事件ではない。水俣病はいま私たちが生きている現代社会のきわめて象徴的・普遍的でかつ本質的な課題を内在させている」とは、まさにその通りだと思う。

  水俣病は、たしかに有機水銀中毒に違いない。しかし、環境汚染を介し、食物連鎖を通じて起こった間接的な中毒である。そこが従来の有機水銀中毒と決定的に異なる点である。(中略)食物連鎖とは「いのち」の連鎖(循環)と言い換えることができる。(中略)環境汚染によって真っ先に影響を受けるのは、生態系の最も弱い環からである。もちろん、人間のいのちもまた、その循環の中にしっかりと組み込まれている。ゴカイやシャコなど、とるに足りない小さないのちと思われるかもしれないが、われわれのいのちと切り離し難く、がっちりと繋がっていることを水俣病は見せてくれている。

  一般的に定説と言われるものは、多くは仮説である。ある時期までの研究によって得られた結果でしかない。それは常に、新しい事実によって変革され、書き直されるべきものである。しかし、しばしばその定説が権威をもつと、それを守ろうとする権威者が出てくる。そうした発想は、権威を守ることに執着するだけでなく、新しい事実や発想に蓋をしてしまう作用をすることになる

近年発生する公害事件は、水俣病と同様に人類が初めて経験することが多い。(中略)人類がはじめて経験する事件であるということは、もともとどの教科書・研究書にも実験データも経過の記録もないということを意味する。したがって、こうした事態にはじめから対処しうる専門家などはいないはずなのである。新しく学ぶとすれば、それは被害者自身からでしかない。(中略)問題は人類初の経験であるという謙虚さを、専門家がもっているかどうかである。

  戦後、植民地を失った日本の資本は、九州を植民地代わりに高度経済成長を支えたといえる。それによって、戦後の負の遺産は九州に集中することになった。その傍証として、炭鉱事故が九州に頻発したことを挙げることができるし、その他にも世界初の有機塩素系化学物質の混入による食品中毒事件「カネミ油症事件」(一九六八年)、廃鉱による環境汚染「土呂久鉱毒事件」(一九七一年)、旧廃鉱鉱山労働者の埋もれた労災事件「松尾鉱毒事件」(一九七一年)、さらに興国人絹によるわが国初の「慢性二硫化炭素中毒事件」(一九六四年)、西日本一帯に起こった「森永砒素ミルク事件」(一九五五年)などを挙げることができる。その他、全国的規模で起こった「振動病」「スモン」「大腿四頭筋萎縮症」「サリドマイド禍」なども九州に多発している。

  環境汚染が起こり、被害が顕在化する時、その被害はその地域に住む生理的弱者に最初に影響を与えることは水俣病の経緯から明らかである。生理的な弱者とは胎児、乳幼児、老人、病者などを指す。職業病の場合は一定の成人(労働者)が対象になるが、環境汚染の場合は、その地域の全住民が対象である。(中略)環境汚染によって最初に被害を受けるのは当然のことながら、自然の中で、自然とともに生きている人たちであった。そして、このような人びとはどちらかと言えば権力者でもなければ、大資産家でもない。自らの権利を主張したり、表現することの不得手な社会的には立場の弱い人たちであることが多い。(中略)いくつかの国内外の公害現場を訪れた結果、私は差別のあるところに公害が起こることを確信するに至った。世界的にも貧困な集団、少数民族など、差別された民に常に開発のしわ寄せ(公害)が降りかかってきていた

公害の前兆は自然界の異変ではなく、その地域の伝統的な生活様式や文化が外力によって急激に破壊される時である

  環境汚染によって発生する健康被害は、生理的弱者と社会的弱者が真っ先に影響を受けるというのも特徴と言える。したがって水俣学は、そのような弱者の立場に立つ学問を模索したい。

  引用してくると、氏の模索した学問の地平は、私達が存在して当たり前だと思ってきた“暮らし”“日々の営み”の大切さを、改めて見つめ直すところに視点があるのではないかと思った。