サイード『故国喪失についての省察1』7〜10章

  以下を読了。第10章以外は書評の形で、いずれも対象への辛辣なコメントがなされている。これまでの章と異なり、アメリカを中心とした西洋マスメディアへの批判というアクチュアルな問題意識が表明されている。
・第7章「どん底への観光旅行――ジョージ・オーウェル」1980
・第8章「黒幕――ウォルター・リップマン」1981
・第9章「信仰者にかこまれて――V・S・ナイポール」1981
・第10章「エジプトの儀礼」1983

簡潔な報告的文体は、歴史、過程、知識そのものを、たんに観察されるべき出来事に、いやおうなく変えてしまう。現在の西洋ジャーナリズムの、証人的で意見をもたないかのように見える文体――それには強みも弱点もある――は、この文体から生まれたものである。ジャーナリズムが暴動について語るときは、アジア人、アフリカ人の暴徒が暴れ回っているさまを見せる。あきらかに問題となる光景を、あきらかに憂慮しているリポーターが報道する。(中略)だが、このきちんとしたリポーターの目をとおしてそのような出来事が報道されるとき、それらは出来事にすぎないのだろうか。群集暴力に対する憂慮を経験するためには、その出来事を生み出した複雑な現実を忘れるしかないのだろうか。そもそもリポーターやアナリストを現場に派遣し、安楽な憂慮の一機能として世界を代理表象することを可能ならしめた権力について語ることはできないのだろうか。そのような文体は、本来、公然と政治的なレトリックよりもはるかに狡猾で不公平なもので、権力との結びつきをずっと巧妙に隠しているだけではないのだろうか。(第7章 p.129)

バランスと不偏不党は、公平さや人道的関心から生まれたものであるというよりは、むしろある階級の世界観、あるいは人類全般に対する優越感に満ちた態度から生まれたものである。この世界観の中心は、環大西洋西岸文明にあり、特権と富とがもたらす権力に疑問をさしはさむ余地はなかった。(第8章 p.134)

彼は、民主主義は大衆のために(大衆によって、ではなく)行われるべきであり、それをおこなうのは民衆よりももののわかっている人々、つまり、ある「専門職階級」の構成員や、他の者全員に何が良くて何が悪いかを教え諭す「インサイダー」といった人々であるべきだという考え方を、完成の域に高めた。そして、リップマンほど巧みに、むき出しのアメリカの権力を、利他主義、現実主義、道徳主義という神秘の衣に包んでみせた人物はいなかった。(同 p.136)

ナイポールが出会うイスラムの人物たちは、魅力に乏しく、つまらない、同情に値しない人物ばかりである。(中略)ナイポールの描写は、決まって個の次元から一般論へと横滑りする。各章の終わりに近づくと格言めいた口調が出てくるのだが、必ず〈意味〉を搾り出すことで章がしめくくられている。そのさまはあたかも、物事をイスラム/西洋という二極分化で説明しないと気のすまない作者のコメント付きでないと、彼の描き出す人物たちは、存在してはいけないかのようだ。(第9章 p.142)

彼が訪れる場所は、注意深く選ばれている。それは絶対安全な場所、つまり彼を寵児としたリベラル文化に属する者が誰も援護する恐れのない場所である。(中略)イスラエルには問題がないが、「イスラム」には問題があるというのが彼の読者の前提なのだ。(p.144)

ナイポールは、彼らのために、あるいは彼らに向かって、批判を書き連ねているのであろうか。(中略)対話などないのだ。『アトランティック・マンスリー』から彼らを狙撃するナイポールは、誰も反撃してくる恐れのない安全な場所に身を潜めているのである。(p.144)

『信仰者にかこまれて』では、一九七九年に起こったこと[※注 イラン革命]はまったく触れられていない。(中略)パキスタンにおいてはジア・ウル・ハクが(合衆国の支援のもとで)市民生活に攻撃を加え、多くの怒りと抵抗にあったが、こうしたことはナイポールの目にはほとんど入らない。(中略)こうしたことはすべて、彼の本を読む者の心のなかに、ある態度を育てる。遠く離れた場所から心配するふりをしながら、自分たちの道徳的優越を確認するという態度を。(p.145〜146)