サイード『故国喪失についての省察1』11〜14章

  以下を読了。とりあえず覚書。
・第11章「批評の未来」1984
  批評行為そのものについての論評。「移動する理論」とも関係深い。
・第12章「故国喪失についての省察1984
  冒頭にあるように、20世紀は他に類例を見ない「大移住時代」であり、それは文学も含んだ文化・芸術に大きな影響を与えてきた。しかし著者は、「故国喪失者(エグザイル)」の実像を考えるためには、ジョイスナボコフといった「エグザイル文学そのものによって立ち上げられた経験領域だけにとどまっていてはいけないのだ」(p.178)と述べる。ここで触れられるラシド・フセインという詩人の生涯が、心に刻まれる。
・第13章「ミシェル・フーコー 一九二七―一九八四」1984
  著者が深い影響を受けたフーコーの追悼文。全仕事が概観され、また批判点も指摘されている。
・第14章「演奏された時を求めて ピアニスト芸術における存在と記憶」1985
  邦訳サブタイトルにグレン・グールドの名前が挙がっているが、実際にはマウリツィオ・ポリーニについても紙数が割かれている(原題にはグールドの名前はないようだし)。これまで読んできて分からなかった「エッセイ」という形式への著者のこだわりが、この章でピアニストと類比されたことで、少し分かったような気がする。