サイード「批評と故国喪失」

故国喪失についての省察〈1〉

故国喪失についての省察〈1〉

序「批評と故国喪失」より

生まれた土地から切り離された故国喪失者や移民や難民や故国放棄者たちは、新たな環境のなかでやりくりせねばならず、その悪戦苦闘のなかに見出せる悲哀のみならず創造性こそ、今後、記録されることを待つ経験のひとつであろう(p.6)。

文化の混淆性

文化はつねに混在的で異種混淆的で矛盾すらはらむ諸言説から成り立っている(中略)文化全体を代弁していると称している権威主義的人物たちは文化を、画一的で魅力がなくても攻撃的主張だけは強いという一枚岩的状態に歪曲し押し込めようとしているが、文化はそれとは違うのだ。(p.6)

個々の作家たちは、誰もが当然視している環境、たとえば居住地とか国籍とかなじみの場とか言説とか知人たちなどと骨がらみになっている。それゆえ解釈者にとって問題となるのは、こうした環境を、作品といかに連携させるか、いかにして作品と切り離しつつ作品と一体化させるか、作品とその作品の世俗的状況をいかにいっしょに読むかである。(p.7)

  筆者のいう「歴史的経験」(ここでは「人間の大きな移動」)が、いかに文学作品の表現の中に反映されているかを読み取ること。

わたしたちの時代の新しさ(中略)とは、かくも多くの個人が、強制移送や移転を経験したあげくに、故国喪失者や亡命者になったということである。この苦難を経ることで、作家たちのヴィジョンには、不安感は言うまでもなく、ある種の切迫感までが生じることになったし、何かを語るときにも、ゆるぎなき確信とは無縁のゆらぎがついてまわり、これが言語使用を、通常の作家たちの場合よりもはるかに興味ぶかくまた暫定的な脆いものに変えたのである。(中略)彼らの独自の言語使用によって読者を刺激し、言語が経験について語っていること、言語は自己参照的にみずからの特性のみを語るのではないことを、読者に知らせているのだ。(p.7)

  二〇世紀初頭の「批評」(と筆者は述べているが、芸術全般に当てはまるかも知れない)には、「直接的経験」を極力排除しようとする動向があったという。「読者を経験から引き離し、形式と形式主義へ向かわせるような動向」(p.10)。文学に例を取れば、作品を、現実の素朴な反映として捉えるのではなく、現実から完全に切り離された完結した世界を持つものとして考えることか?
  現実の様々な「経験」を捨象し、「形式」にいわば閉じこもった人々に対し、筆者が関心を持った著述家達は、そのような「経験」が生まれる「世俗」世界に背を向けなかった点で共通する。

彼らはみなアウトサイダーであり、彼ら自身無視することも逃れることもできない、ときには圧倒的な、また脅迫的でもある環境の侵食と戦いながら多大な犠牲を払って、その類い希な洞察に達していた。彼らは、わたしが世俗=世界性と呼ぶ厄介な要因に煩わされないどこか外部へと逃れることなどできなかった。(p.15)

  この「世俗=世界性」というのは、単なる世の中という意味ではなく、あらゆる物事は関係し合っているという、相互影響性を強調したい言葉のように思われる。それは例えば「ある領域の生活への懸念は、暗黙のうちに、また問われることのないかたちで、じつは他の領域の生への懸念ともも関わる」(p.34)という表現からも読み取れる。
  だから筆者は、そのような繋がりを暴力的に断ち切ったり、分離を固定化する試みに対しては、たとえ反人種主義的な意図からなされたものであっても批判する。

セゼールやデュボイスにとって、人種差別思想と黒人個人に対する迫害は、白人もしくはヨーロッパの主流文化のなんらかの面に責任があるのだが、しかし彼らは、すべての白人やヨーロッパ人を、あるいはすべての白人文化やヨーロッパ文化を破棄して却下すべきだとは考えていなかった。(p.23)

興味ぶかく歴史に立脚した文学研究をするには、かつて植民地化された民族の一員たるべきとか、抑圧されたマイノリティ集団の一員たるべきだと、わたしが示唆しているようだと理解してほしくはない。当事者の特権といった考え方が提案されるときには、即座にこれを退けるべきである。なぜならそれは、つねに糾弾すべき、人種差別やナショナリズムもどきの排除行為の永続化にすぎないからだ。(p.28)

  このような世界を巻きこんだ相互交渉の場=「世俗」世界が成立したのは、帝国主義の時代であり、ここでは西洋と非西洋が密接に関わり合うと同時に、両者の間の分裂と「権力の不均衡」を定常化するような思想が求められた。それがナショナル・アイデンティティだった(p.20)。
  つまり、西洋と非西洋、植民者と被植民者の対立だけを強調する考え方は、この時代の一つの産物であり、実際に起こっていた状況を正確に述べたものではない、ということだ。
  そこから筆者は、被支配者側が支配国の文化を読み破って、自分達の解放に役立ててきたという、もう一つの歴史的側面に目を向けさせようとする。

西洋の帝国主義に立ち向かった偉大な解放主義的文化運動を際立たせるのは、西洋文化が位置しているのと同じ言説界において解放を達成しようとしたことだ。(中略)帝国主義の犠牲になった者たちにとって、帝国主義の歴史的経験は隷属と排除をともなうものであった。それゆえナショナリストの解放と脱植民地化の歴史的経験は、解放と包含を意図するものであった。(中略)帝国主義においては、支配民族と従属民族の双方が、これ以上何かに還元不可能な、同じ世俗世界を実際に共有したということだ。そしてもしこれを認めるなら、人類全体の共通財産としての、唯一の世俗世界的な文化空間が存在し、また権利や理想をめぐる普遍言語も存在することになり、この普遍言語のなかで解放と包含のための闘争が展開する。(p.24)

デュボイスやトニ・モリスンやC・L・R・ジェイムズによる解釈から、正典のなかに、これまで見出されなかった、感性と姿勢と言及からなる異質の構造を見出すことができるということだ。この構造は、主要な作家たちが、これまで考えられていた以上に世俗的に、積極的に、政治的に、非ヨーロッパ人にとっても重要な問題と関わってきたことを立証する(中略)わたしのアプローチは、正典の作者たちを(中略)彼ら独自の歴史のなかに再び位置づけ、彼らの作品のなかで、これまで周辺的と思われ無視されてきたが、非ヨーロッパ人の読者の歴史的経験によって新たな意味を獲得した、そんな側面をとりわけ強調することにある。(中略)正典について語ることは、こうした文化集中のプロセスを理解することである。それは帝国主義の、また今日のわたしたちを取り囲むグローバリズムの、直接的な帰結なのである。偉大な作品の特権とは、それが中枢の中枢に位置しているため、周辺領域の、余白的な、脱中心的な生の歴史的経験に、たとえ限定的で、かろうじて分かる程度のものであっても触れたり、それを包含できることである。