“町の本屋さん”の存在価値

 『東洋経済新報』2018年9月30日、中村陽子氏の記事「札幌の小さな本屋が見せた大きな「奇跡」 くすみ書房のオヤジが残したもの」より。

 くすみ書房は札幌市内にあった、“町の本屋さん”という呼び方がぴったりの書店。二代目店主の久住邦晴氏は、経営不振による倒産の危機に何度も見舞われながら、「なぜだ⁉︎ 売れない文庫フェア」や「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」といったユニークなフェアで起死回生を図ってきた。しかし、大型チェーン店出店の影響による売り上げ減のため2009年移転、さらに2015年惜しまれながら閉店に至った。それでも久住氏は、店主として次の本屋の構想を立てていたが、2017年病により永眠した。
参考:くすみ書房ってどんな本屋さん? | みんなのミシマガジン

 記事は、その遺稿集『奇跡の本屋をつくりたい くすみ書房のオヤジが残したもの』に解説を寄せた政治学者・中島岳志へのインタビューである。

 久住さんは時代と戦ってる人でした。2003年、まず「なぜだ⁉ 売れない文庫フェア」というのを始めた。これは小泉(純一郎元首相)構造改革のど真ん中。札幌も地元の本屋さんや小売店がナショナルチェーンに侵食され、弱肉強食、新自由主義の時代でした。その荒波の中で地方とか“小商い”とか、今後大切になっていくものを先取りしようとしていた。
 たとえば、新潮文庫は売れてる順にS、A、B、Cとランク分けしていて、1501位〜最下位は無印。大型書店はCランクまでは置くけど、無印本は置かないそうです。だったらこの無印本を集めてフェアをやろうじゃないか、と久住さんは考えた。開催中いちばん売れたのが下村湖人の『次郎物語』。だけど大抵の大型店は置いてない。置かないから存在しないことになる、そして本が死んでいく。これに「ちょっと違うよ」という流れを作りたかったのだと思う。(中略)札幌に来て久住さんと出会って、地方の抱えるさまざまな問題が東京発の新自由主義と連動しているのが見えてきた。それなら僕は、目の前のシャッター通り商店街とか借金まみれの小売店、零下10度の中で寝場所がないホームレスの人たちの側から物を考えたほうがいいんじゃないかと思った。

 ──地方の現実に寄り添う。
 ほかにも久住さんに影響を受けて、小さな、でもちゃんとした本屋さんができ始めている。もっと言うと小商い。拡大成長よりも持続。ダウンサイズしてでも続けていくことに価値がある時代です。それをやっていかないと地方はまったくもたない。利潤追求のナショナルチェーンは当てにせず、小商いで持続可能な生活世界を作っていくこと。それがくすみ書房のあり方で、久住さんの“奇跡の本屋”とはそういうことなんです。
 まずは場所代がかからない。普通の資本主義経済ではない、一種の贈与みたいなものが含まれる商売の形。「本屋がないと困る」と思った人が「空き家があるから使って」と言ってくれる。利益は出なくても最低限の運営費は賄える。そんな形態がないともう本屋なんてなくなるよ、絵本を探しに子供を連れていく場所がなくなるよ、と言いたかったんだと思う。

 ──ネット通販の普及で、どこに住んでいても一応本は買えますが。
 地方に住むと、アマゾンなしに生活は成り立たない。都会では想像もできないような環境が地方には出来上がっていて、いきなりアマゾンなんです。けどもその前に、どんな本があるのか、どんな世界があるのか、やっぱり本屋さんへ行ってザーッと見て、表紙の感じがいいとか、気になる本をふと手に取るところから世界が開けていく。
 僕はその入り口が重要だと思っていて、それが町の本屋さんだったりする。品ぞろえは少なくても、店主の思いがこもったPOPなんかで本との出合いが生まれる。そこからアマゾンで類書を探したり、あるいはその本屋さんを支えようと思ったら、時間はかかるけど本屋さん経由で注文するとか。そんな媒介が消滅していくのは、世界がやせ細ることなんじゃないか、というのが久住さんの言い分だった。

 以前に無書店自治体が話題になったこともあった。
 今、熊本市内では中心地に長崎書店・まるぶん・ツタヤがあり、それぞれの得意分野を生かしてうまく棲み分けてくれているようだ(ナガショは人文アート系・まるぶんは学習参考書・ツタヤは全般+SF)。Cocosa内の無印良品でもスローライフ系の書籍を置いてあり、少し足を伸ばした所には、それぞれ極めて個性的なカラーを持った橙書店・長崎次郎書店がある。また並木坂には天野屋書店・舒文堂河島書店・古書汽水社と三軒古書店が並び、少し北には古本タケシマ文庫がある。
 市街地について言えば、本屋環境はずいぶん恵まれている方だ。しかしいつまでもその環境があるかというと分からない。まして郊外や周縁地は言うまでもない。
 書店の減少という点では、7年前熊本に来る以前、京都で既に感じたことだった。熊本より都市圏であるはずの(ということは売り上げもそれなりにあっただろう)地域でさえ書店の経営が困難だったのだから、今の環境を当たり前のものと思ってはならないだろう。
 書店は、“今”という一方向の流れから一旦降りて、様々な支流に目を向け、思考の多様性を活性化する大切な場所だと思う。書店が町から消えることは、そこに住む人々が活力を失うことに繋がるはずだ。

奇跡の本屋をつくりたい くすみ書房のオヤジが残したもの

奇跡の本屋をつくりたい くすみ書房のオヤジが残したもの