山代巴編『この世界の片隅で』
広島市在住の高雄きくえ氏による「『この世界の片隅に』閉じこめられる日常」(『WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin』2017/7/15)より。高雄氏は、広島で「ひろしま女性学研究所」を運営しているフェミニストである。
つながる/ひろがる/フェミ・ジャーナル -ふぇみん-|インタビュー
アニメ映画『この世界の片隅に』は、広島・呉でも昨年11月に公開されて以降いまだに上映されています。(中略)「戦争の悲惨さを声高ではなく静かに訴えている」「戦下の日常を淡々と描いている」ことを人々は称賛し、異見を挟むことさえ憚られる状況です。
東京で見た知人は、「涙し感動した」鑑賞者が終映後「一斉にスタンディングし拍手をした、もちろん私も」と語り、別な知人は「あの映画のどこに感動し、どこで泣けばいいのか」と苛立ちをぶつけます。どちらにしても、私には多くの戸惑いと違和感が付きまとい続けています。
その一つが『この世界の片隅に』というタイトル。広島の原爆被害を記録した山代巴編『この世界の片隅で』(1965年)のパクリ(きっと)なのですが、「で」を「に」に変えただけ、なのでしょうか。この違いがそもそも私には大きな違和感なのです。
山代巴らは「在日朝鮮人、被差別部落民、沖縄人」などマイノリティーである被爆者を訪ね歩き、この世界の片隅〈で〉苦しみ続ける存在を世界にひらこうとしました。しかし「嫁ぎ先にも愛される“すず”の日常」は、「家族物語」としてこの世界の片隅〈に〉閉じ込められています。
「内向き」は、「感動」は呼びますが「問い」を封じ込め、必然的に「声高に叫ばざるをえない人々」への疎ましさをさらに生み出すことにはならないでしょうか。
引用:加納実紀代(@ikuta1665)さん | Twitter
高雄氏は「パクリ」とかなり強い言い方で批判しているが、実際に『この世界の片隅に』の原作者・こうの史代が、作品執筆に際して山代巴編『この世界の片隅で』を念頭に置いていたのかというと、本人は否定しているそうだ。
この点については、ブログ「紙屋研究所」で次のように論じられている。
山代巴編の本書『片隅で』は、被爆した広島についてのルポであり、『片隅に』とあまりにも近接したジャンルの本である。
『片隅に』を描いた、こうの史代が、『片隅で』を知らないはずはなかろう、とぼくは思っていた。それを意識して書いたタイトルに違いないと思ったからだ。
ところがこうのは、ファン掲示板で次のように書いている。実は「この世界の片隅で」は、機会が無くて、わたしはまだ読んでいないのです! ただその存在と、「原爆に生きて」の内容と被っているらしいという事を知っていた程度なのでした。というわけで、「この世界の片隅に」とは無関係なのでした。ごめんなさい!
最近出かけてばかりだ | こうの史代ファンページ 掲示板 | 5891読んでいないし、「無関係」なのだという。
こうのが原爆について描いた物語『夕凪の街 桜の国』では参照文献として山代巴の『原爆に生きて』が取り上げられており、前述の掲示板でも、こうのは山代について、勿論山代巴には大変な敬意を抱いていて、この人のおかげで原爆文学は大きな広がりと奥行きを持った事は疑いようがない事実ですが、わたしに許されるやり方とはちょっと違う気もしています。
と述べている。
引用:この世界の片隅で
ここでブログは「邪推」と断りながら、「こうのと山代の手法は大きく異なること」から「あえて距離を置くために「読んでいない」というふりを、こうのはしたのではないか」と述べた上で、
『片隅に』を読む際に、本書『片隅で』を対象をなすものとして読むことが、『片隅に』を深め、広げていく、豊かな読書法になると信じる。
と結論付けている。
上記ブログ中で引用されたこうのの発言は、ブログ「今日、考えたこと」で後の省略個所も含めて掲載されている。こちらの方が発言の真意を捉えるのによいだろう。
最近出かけてばかりだ
投稿者:こうの史代 投稿日:2010年 3月14日(日)13時19分24秒 X047192.ppp.dion.ne.jp実は「この世界の片隅で」は、機会が無くて、わたしはまだ読んでいないのです! ただその存在と、「原爆に生きて」の内容と被っているらしいという事を知っていた程度なのでした。というわけで、「この世界の片隅に」とは無関係なのでした。ごめんなさい!
勿論山代巴には大変な敬意を抱いていて、この人のおかげで原爆文学は大きな広がりと奥行きを持った事は疑いようがない事実ですが、わたしに許されるやり方とはちょっと違う気もしています。大田洋子に対しては自分の運と健康を分けたいぐらい惚れているのですが。今思うと、「この世界の片隅で」まで読んでしまうとぐらついてしまいそうで、それで必死で探してでも読もうとしなかったのかも知れません。
しかし、「原爆エレジー」という言葉はいいですね。
実はわたしも「この世界の片隅に」では、最初から原爆以外の戦災を描くと言っていたにもかかわらず、すずが被爆しなかった事や、すみが死ぬところまで描かれていない事、黒焦げの死体の山なんかが出てこない事を、あからさまにガッカリする人を目の当たりにしたりしたものでしたよ…。でも自業自得なのかもしれない。広島市で、原爆についてしか学んでこなかったわたし自身は、呉戦災について語ってくれようとした祖母に対して、そういう態度をとらなかっただろうか。そういう人に会うたびに、そんな強い自責の念に駆られたりします。今となっては、そんなわたしを許してくれる人は永遠にいません。決して許されないまま、一生を終える事になるのでしょう。
「原爆エレジー」は、原爆が「最も威力ある」兵器として登場させられる点で、「権威主義」の一種ではないかとわたしは考えたりしていますが…、右か左か核容認か反対かというおもての意見の対立とは別の次元で、原爆を過大に評価(あるいは批判)するかそうでないか、という別の対立が隠れていて、それは事実や知性の問題ではなく、描き手と読み手の人間性の問題なのだと思います。この辺の事は、いずれ平凡倶楽部で書くと思います。
引用:「『この世界の片隅に』(こうの史代) メモ」について 今日、考えたこと/ウェブリブログ
こうのが「わたしに許されるやり方とはちょっと違う」と評した山代巴の「やり方」とは何か。それは一言で表すならば、被爆者同士の連帯や被爆者自身による運動を組織化していかなければならない、という発想の有無だと思う。
例えば、こうのの作品では、最後にすずと周作が母親を失った女の子を「家族」に迎え入れる。これについて前掲の紙屋研究所は「原爆孤児を「養子」にむかえる」という結末が、山代著に見られる「「原爆孤児国内精神養子運動」を含めた広島の反戦・平和運動を水脈として持っている」と指摘している。
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これは勝手な憶測だが、こうのは、組織や運動が囚われがちな手の届く日常性からの離脱、政治性や集団性や権力性といった世界に、どうしても馴染めないものがあったのではないか。日常のトリビアルなものへの凝視は、すず達主婦の目線を通して細大漏らさず書き尽くされている。そして『この世界の片隅に』は、そのような日常性の延長線上に原爆を描きたかったのではないだろうか。
そしてそれは、すずの物語が1946年で終わっているのに対して、『この世界の片隅で』が、むしろそれ以後の20年をいかに生き抜いてきたか、に焦点を当てているのと無関係ではないように思う。山代が「まえがき」で振り返るように、「今では「原爆を売りものにする」とさえいわれている広島の被爆者たちの訴えも、地表に出るまでには、無視され抑圧された長い努力の時期を経過して」いるのであり、戦後社会にその声が聞き入れられるために運動の力が不可欠だった。そして声を上げることが、当事者にとっても認識の変化をもたらした。
川手健は、一般被爆者の手記を集めるためには、被爆者の組織が必要であるといい出しました。しかし組織するためには、まだ立ち上がれずにいる被爆者の家を、一軒一軒訪問して、彼らのところにある要求や訴えを聞かなければなりません。『原子雲の下より』を編集した仲間たちは、その夏からこぞって被爆者の家を訪問することになりました。そして一人一人のまだ立ち上れない苦しみを聞き、要求や訴えを手記にする手伝いをはじめました。これは詩人や作家にとっても、全く新しい道でありました。ものを書いたことのない被爆者たちも、自分の体験を文章にするなかで、自分の思いを確かめることができ、その言葉が活字になって出ると、未知の人に理解される喜びがともない、次第に自分の訴えに自信を持つようになって来ました。そしてこのいとなみを通して、被爆者組織の礎となり、進んで原爆禁止の戦列へ加わって行く人々が続出しました。この事実から考える時、被爆者の手記集『原爆に生きて』は、今日の被爆者組織の礎石であったといえましょう。
事実、『この世界の片隅で』の各章の多くは、当事者の力強い認識の変革を書き記すことで終わっている。山代は、このような自他に及ぶ認識の深化を「闘い」と呼んでいる。
この本の名を、『この世界の片隅で』ときめました。それは福島町の人々の、長年にわたる片隅での闘いの積み重ねや、被爆者たちの間でひそやかに培われている同じような闘いの芽生えが、この小篇をまとめさせてくれたという感動によるものであります。現地の片隅での闘いが私どもを変化させた力は大きく、「広島研究の会」は、どこまでも現地に密着して、中断することのない研究を進めなければならないと思われます。
「世界の片隅」とは、「被爆体験からの思索の歩み」が生まれ出る「現地」を指すと考える。それは、ともすれば世間の大きなうねりに無視されがちなゆえに「片隅」だが、その場所から始めなければ意味がないという「闘い」の現場をも意味する強い言葉だろう。
しかし、先駆者である川手健(たけし)*1の自死を、山代が哀惜を込めて述べるように、運動化・組織化は拡大すればするほど、現場からの離脱という危険をともなう。
峠三吉をのぞく、他の先駆的な人々の名は忘れられ、彼らが発見し積み重ねて来た努力や方法は、受けつがれていません。川手も一九五五年の第一回原水爆禁止世界大会が、広島で開かれるまでは、被爆者の会の中心的な活動者でしたが、盛り上がって来た被爆者救援の声は、同時に若い彼の持つ欠陥への批判や攻撃となってあらわれ、彼の意見の用いられない状態をつくり出して行きました。しかし彼は、大学を二年も棒に振って青春を捧げたこの組織と、全く無関係になることは出来ませんでした。一九六〇年四月、遺書も残さず自殺して行くまでの間に、彼が私に送った言葉はつねに、被爆者の組織化の発端において、お互いの発見したあの方法が、捨て去られようとすることへの悲しみを訴えていました。
この問題は、『この世界の片隅で』だけでなく『原爆に生きて』『囚われの女たち』、牧原憲夫氏の評伝、サークル運動などの背景を踏まえて考えなければならない*2。そして「サークル村」と石牟礼道子、震災後の復興など、社会的課題に直面した人々が水平なコミュニケーションに基づいて事に当たる際に、常に直面する課題である。
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