NHK「九軍神〜残された家族の空白〜」

  NHK真珠湾攻撃で戦死した「九軍神」の遺族のその後にスポットを当てた、興味深いドキュメンタリーをやっていた。以下は番組紹介のHPより。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1614/1077207/index.html

「九軍神」とは、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃の際、潜水艇で捨て身の攻撃を行い、戦死した9人の若者。海軍が戦意高揚のために名付けたこの言葉は、残された家族の人生に暗い影を落とし続けている。軍神ゆえに明らかにされない事実、隠された過去。いま、孫の世代が「軍神」と呼ばれた家族がどんな人物で何をしたのか、その足跡をたどることで、埋まらない家族の“空白”と向きあおうとしている。終わらない戦後を見つめる。

  番組では「九軍神」の家族に当たる二人の女性が、それぞれ過去とどのように向き合おうとしているかを取材している。一人は「軍神」・古野繁実少佐の孫である。彼女の父は「軍神」の息子でありながら、海軍によってその存在を秘すべきものとされ、生前対面の叶わないまま養子に出された。自分の出生について知ったのも、成人してからだったという。番組ではその背景として海軍による「九軍神」のプロパガンダ化を指摘している。

元々軍神は、国民の中から生まれた言葉でした。(中略)海軍はこの言葉を、国民の戦意高揚に利用しようと考えました。報道機関に向けた資料で、乗組員を「九軍神」と呼び、美談に仕立て上げました。
(番組ナレーションより)

  「戦死した九人の若者を国民の模範に仕立て上げた海軍」は、「「九軍神」の未婚の子供」を「決して認められない存在」として隠し続けようとした(同)。
  もう一人は、大叔父が「軍神」・佐々木直吉少尉である女性で、各地の遺族を回り話を聞き取っている。彼女の祖父が、他の遺族達と交わした手紙によれば、敗戦後の社会の激変は、自宅に石を投げ込まれるなど、「軍神」の家族達にも強い風当たりとなったという。

世情は一変して紙よりも薄き人情と氷よりも冷たい世の中(番組中引用された遺族の手紙より)

  番組中では、まだ存命の「九軍神」片山義雄・兵曹長の弟の話を聞くシーンがある。

[兄は]変人を思われるぐらい堅物でしたよ。まじめです。絶対悪いことは嫌いだった。[軍神になったと聞いた時は]立派な兄貴をもって幸せだと思いましたね。(中略)戦争が終わってから九軍神だと言われてもね、立派な兄貴じゃとは言えなかった。考えれば考えるほど、兄貴が憎いいうんじゃなしにね、戦争のばからしさ、得があったんだろうか。

  番組は、古野少佐の孫に当たる女性が、九軍神の訓練地だった愛媛県伊方を、父の遺骨を伴って訪れるところで終わる。

  「九軍神」と聞いて真っ先に思い浮かべたのは、坂口安吾の小説「真珠」(『文芸』1942・6)である。ここで安吾は、「「必ず死ぬ」ときまった時」に「鼻唄と共に進みうる」のは「ただ超人のみ」と述べている。
坂口安吾 真珠

  必ず死ぬ、ときまった時にも進みうる人は常人ではない。まして、それが、一時の激した心ではなく、冷静に、一貫した信念によって為された時には、偉大なる人と言わねばならぬ。思想を、義務を、信仰を、命を捨ててもと自負する人は無数にいるが、然し、そのうちの何人が、死に直面し、死をもって迫られても尚その信念を貫いたか。極めて小数の偉大なる人格が、かかる道を歩いたにすぎないのである。

  あなた方は、いわば、死ぬための訓練に没入していた。その訓練の行く手には、万死のみあって、万分の一生といえども、有りはしなかった。あなた方は、我々の知らない海で、人目を忍んで訓練にいそしんでいたが、訓練についてからのあなた方の日常からは、もはや、悲愴だの感動だのというものを嗅ぎだすことはできない。あなた方は非常に几帳面な訓練に余念なく打込んでいた。そうして、あなた方の心は、もう、死を視つめることがなくなったが、その代りには、あなた方の意識下の確信から生還の二字が綺麗さっぱり消え失せていたのだ。(中略)「お弁当を持ったり、サイダーを持ったり、チョコレートまで貰って、まるで遠足に行くようだ」と、あなた方は勇んで艇に乗込んだ。然し、出陣の挨拶に、行って来ます、とは言わなかった。ただ、征きます、と言ったのみ。そうして、あなた方は真珠湾をめざして、一路水中に姿を没した。

  「真珠」の前半部分は、「死と鼻唄」(『現代文学』1941・5)と同じ内容で、ここでも「多分死にはしないだろうという意識の上に思考している我々が、その思考の中で、死の恐怖を否定し得ても、それは実際のものではない」と、「死の恐怖」を乗り越えることの困難が述べられている。
  だからこそ安吾は、生還を期し得ない任務を全うした個人に対して、同じ人間として尊崇の念を禁じ得なかったのだろう。それは自然な感情のように思える。だがその姿を、誰もが目指すべき「国民の模範」として広めていく中には、政治的思惑が入り混じっていく。
  「軍神」とは、生身の人間を偶像化することだ。そこでは偶像にふさわしくない、ある意味で人間的な部分は、不都合であるとして切り捨てられる。古野繁実少佐の息子の存在が隠されたのも、そういった理由だろう。
  その意味で、少佐の孫の女性が、伊方の旅館に残された訓練中の祖父の写真を見て、「こういう軍服の、しゅっとした写真しか見る機会がないんで、こういう表情のおじいちゃんは、初めて見ました。ほっとしますね。やっぱり普通の人だったんだなって」と語ったのが印象に残った。偶像化された「軍神」としてではなく、生身の人間としての姿を発見できたことに、安心したのではないだろうか。