丸山真男「憲法九条をめぐる若干の考察」

  苅部直細谷雄一の対談「八月十五日に日本の安全保障を考える」(『週刊読書人』2014・8・15)を読んで違和を感じた。苅部氏は丸山真男憲法九条理解について、表題で挙げた講演に触れて、次のように述べている。

そこでの第九条と前文に関する理解は、軍備を全廃すべきだとかいった具体的な政策を指定したのではなく、国際平和へと向かうような「政策決定の方向づけ」を示すところに意味があるというものです。一種のプログラム規定説。これが論文集『後衛の位置から』(一九八二年)に収められたのを初めて読んだとき、僕は素朴な非武装中立論の若者でしたので、がっかりしたんですね。当然、自衛隊全廃・日米安保廃棄とか、勇ましい議論を期待していましたから(笑)。しかし大人になって読み直すと、むしろきわめてまっとうな憲法論なんですよね。戦力不保持・国際協調主義の原則を守りながら、それをどう現実に生かしてゆくかは、あくまでも政策決定者による判断と、それに対する国民のチェックに委ねられている。

  丸山は、九条に対する理解の仕方として、(1)「建て前と現実との二元論―建て前としては正しいけれども、現実はそうはいかないものだという二元論」、(2)「第九条は、現実の立法や政策決定にたいして、かなりルーズではあるけれどもともかく外から一定の枠をはめたものだという考え方」という二つの立場を挙げた上で、自分は第三の立場を取るとする。

私は、第九条の規定には、それよりもう一歩進めた思想的意味が含まれているのではないか、と思うのです。ということは、第九条、あるいはこれと関連する前文の精神は政策決定の方向づけを示しているということです。政策決定の方向性を現実に制約する規定であると見れば、枠というスタティックなものでなくて、ダイナミックなものになる。(中略)自衛隊が現にあるということ、その現にあるという事実をなんぴとも否定することはできません。しかしこれをますます増強する方向に向うか、あるいはそれをできる限り漸減したり、あるいは平和的機能に転換させる方向に向うか、によって、現実には非常にちがってきます。その場合における方向性を決定する現実的な規定として第九条というものが生きてくる。

憲法遵守の義務をもつ政府としては、防衛力を漸増する方向ではなく、それを漸減する方向に今後も不断に義務づけられているわけです。根本としてはだた自衛隊の人員を減らすというようなことよりも、むしろ外交政策として国際緊張を激化させる方向へのコミットを一歩でも避け、逆にそれを緩和する方向に、個々の政策なり措置なりを積重ねてゆき、すすんでは国際的な全面軍縮への積極的な努力を不断に行なうことを政府は義務づけられていることになる。したがって主権者たる国民としても、一つ一つの政府の措置が果してそういう方向性をもっているか、を吟味し監視するかしないか、それによって第九条はますます空文にもなれば、また生きたものにもなるのだと思います。

  また「平和を愛する諸国民の公正と真義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という日本国憲法前文と九条の関連性を、次のように指摘している。

日本国民はみずからも平和愛好諸国民(ピープルズ)の共同体への名誉ある成員としての地位を実証してゆくのだという論理であり、その方向への努力のなかにわれわれの安全と生存の最終の保障を求めるという決意が表明されている(中略)この普遍的理念へのコミットから出て来るものは、あなたまかせの消極的態度―他国依存だけでなくて、自分の行動ぬきの世界情勢まかせも含めて―とは逆に、日本がそういう国際社会を律する普遍的な理念を現実化するために、たとえば平和構想を提示したり、国際紛争の平和的解決のための具体的措置を講ずるといった積極的な行動であり、そういう行動に政府を義務づけているわけです。

ここでは現実のパワーポリティックス、およびパワーポリティックスの上に立った国際関係が不動の所与として前提されて、そのなかで日本の地位が指定されているのではない。むしろここで前提されているのは「専制と隷従、圧迫と偏狭」の除去に向って動いている、そういう方向性をもった国際社会のイメージであります。(中略)ここで日本がコミットしている国際主義は国際社会の現状維持ではありません。むしろそうした現状維持の志向に立っているのは、勢力均衡原理です。この前文は植民地主義の廃止、あるいは人種差別の撤廃といった問題を平和的に実現する使命を、日本に課しているということになります。(強調引用者)

  苅部氏は自身の主張として、「いまの日本は事実上の軍事力をもっていて、人道的介入とまでは言わなくても、国際秩序の維持に責任を持つべき位置にいる」として、「日本国憲法の国際協調主義に注目するならば、他の国が苦しんでいる時には、ある程度の軍事力を使って協力するという選択肢もありうる」と述べている。しかし強調で示したように、丸山の言う「国際主義」は現状の「国際秩序」を維持することではないし、「平和的」な解決を主張しており、「軍事力」の行使は認めていない。氏は丸山の言葉を引用しつつ、そこに込められた強い現状変革への意志を骨抜きにしてしまっているのではないか。