佐川光晴『牛を屠る』

 この本を読み始めたきっかけは一本のテレビ番組である。
 くまもと県民テレビ(KKT)製作で、日本民間放送連盟賞優秀賞も受賞した「現場発!第41回 “いのち”を伝える 元食肉解体作業員の挑戦」がそれだ。ここで登場する元作業員の坂本義喜さんは、現在は各地の小学校を回り啓発運動を行っている。この番組の中で、坂本さんも職場の元同僚も、口を揃えて「自分達の技術は本当にすごいものなんだ!」と胸を張っていたのがとても印象的だった。
 この優れたドキュメンタリーから、かねて気にかかっていた本書を手に取った次第。
現場発|KKTくまもと県民テレビ

絵本 いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日 (講談社の創作絵本)

絵本 いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日 (講談社の創作絵本)

 筆者の佐川光晴は「生活の設計」「ジャムの空壜」などの作品で知られる小説家である。しかし最初から文筆業を目指したわけではなく、北海道大学卒業後、出版社に勤務するものの職場で喧嘩して退職、職安で次の仕事を探す内に、「大宮市営と畜場」に勤務することとなる。
 「と畜」の「と」は、言うまでもなく「屠る」である。「鳥獣の体を切り裂く。切り殺す」という生々しい行為を連想させないために、「屠」の文字をひらがな表記にしたのだろうということは想像がつく。
 では、実際に携わる人々は、どのようにその行為を受け止めたのだろう。
 筆者は「大宮市営」の人々を描く際に、観念的な図式に頼らず、あくまでも即物的な視線に徹して、仕事としての「屠殺」を捉えようとしている。

本書でも私は家畜の解体作業を表す語句として「屠殺」を用いている。その理由を、注という補足的なかたちで説明することはできない。なぜなら、本書の全体が、まさに「屠殺」の一語を肯定するために書かれているからだ。したがって、あえて簡略に言えば、「屠殺」という一語こそ、その行為と、その行為の背後にある、差別的な視線などではとうてい覆いきれない、広く大きなものが感じられるのだと、私は考えている。

 筆者が、自分の仕事を観念的な図式に落とし込むことを知らなかったのではない。
 例えば「屠殺」に対して抱かれる差別的な観念に基づいて、「聖と賤」という図式を想定し、そこに自己の仕事の意味を求めるということもできる。しかし、筆者はあえてそうしなかった。注視したのは、いかに牛や豚を解体するか、その技術を鍛錬し継承していくという、あらゆる仕事に共通する職業意識である。

 私の学生時代には阿部謹也や網野義彦を旗頭とする「社会史」が一世を風靡しており、私もかれらの著作を読んでいた。米作農業の発展を社会の中心に置く従来の史観に対して、非農業民の土地に縛られない交流こそが社会にダイナミズムを与えてきたとする構想は魅力的だった。また中央権力の及ばない領域としてのアジールを積極的に評価する視点にも、大いに啓発された(社会史研究者の中で、私は良知力が大好きだった)。
 したがって、屠殺場で働くという私の選択は、自分を権力から能うかぎり遠ざけようとする意図によるものであると解釈することができるのかもしれない。さらに、あえて我が身を「穢れ」の中に浸し込み、そこをくぐり抜けることで「聖」へと至ろうとしていたのかもしれない。
 しかし(中略)屠殺場とは日々搬入されてくる牛や豚を解体する場所である。そこで働くわれわれに求められるのは、体調を整えて過酷な労働に耐えることと、先輩から受け継いだ技術を後輩へ伝えていくことである。具体的には、手を抜かずにナイフを研いで、大怪我をすることなく解体作業を行ない、家に帰ったあとは明日に備えて早くに眠る。
 われわれにとってはナイフの切れ味が全てであり、切れ味を保つためにいかにしてヤスリを掛けるのかの一点に心血が注がれた。

 ナイフについては、本書の随所で詳細に述べられている。あらゆる職業では、対象の手応えや手触りこそが、熟練していく上での目安となるものだろうが、ここではナイフを介した牛や豚との関わりこそが、解体作業に関わる職員達の“支え”であることが描かれている。

 牛の皮を剥いているのは私であり、ナイフの切れ味の全てを感じ取ってはいるが、事実として牛と接しているのはナイフであって、私ではない。ナイフと一体になるのではなく、決して埋め切れないかすかな隔絶感を意識しながら、私は牛の皮を剥き続けた。

 そのときは不意に訪れた。(中略)私は刃先にまったくあそびをつくらず、いきなりナイフに力を込めた。その途端、ナイフが腕ごと前に伸びた。(中略)大変なことが起きたと感じながら、私は動きを止めずにそのまま牛を剥き切った。からだに残ったイメージを壊さないようにつぎの牛に取りかかると、ナイフは腕の長さいっぱいの弧を描いて牛の皮を剥いてゆく。
 まさかこんなことが起きるとは思わず、私は呆気に取られていた。朧気に感じていたのは、これは道具がした動きなのだということだった。青龍刀のように反り身になった皮剥き用の変形ナイフは、いま私がした動きをするように形づくられているのだ。その形は幾百幾千もの職人たちの仕事の積み重ねによって生み出されたものであり、誰もが同じ軌跡を描くために努力を重ねてきたのだ。

 このような具体的な技術の矜持が、様々な観念に纏わりつかれがちな「屠殺」という仕事に携わる人々を支えているのだろう。

 われわれは「屠殺」と呼んでも、自分たちが牛や豚を殺しているとは思っていなかった。たしかに牛を叩き、喉を刺し、面皮を剥き、脚を取り、皮を剥き、内臓を出してはいる。しかしそれは牛や豚を枝肉にするための作業をしているのであって、単に殺すのとはまったく異なる行為なのである。(中略)小説「生活の設計」には「死」という文字がほとんど出てこない。まして、解体されつつある牛や豚を指して「死体」と呼んだことは一度もない。「命」や「いのち」にいたっては、ただの一度も登場しないはずである。自分の目の前には、生きている牛や豚が枝肉になるまでの全過程がパノラマとして展開されている。しかし、ここが命と死の境目だと指差せる瞬間はないと思っていたからだ。

 「死」も「いのち」も、余りに大きく、それゆえに観念だけが実体から離れて肥大化しがちである。しかし、筆者の経験では、両者の境界線ははっきりしていない。死んでゆく牛や豚は、一般的な「死」の観念と対照的に、「熱い」のである。

 「死」には「冷たい」というイメージが付きまとう。しかし牛も豚もどこまでも熱い生き物である。ことに屠殺されてゆく牛と豚は、生きているときの温かさとは桁違いの「熱さ」を放出する。(中略)屠殺されてゆく牛と豚は、背引きをされて枝肉になってもなお、温かみを失ってはいないのである。
 喉を裂いたときに流れ出る血液は火傷をするのではないかと思わせるほど熱い。真冬でも、十頭も牛を吊せば、放出される熱で作業場は暖まってくる。切り取られ、床に放り投げられたオッパイからは、いつまでたっても温かい乳がにじみ出る。

 筆者は、自分達の行為を「殺す」とは呼ばない。「殺す」には「命を奪う」以外に「そのものの特質を駄目にする」という意味がある。解体作業員は、牛や豚を食用の肉にするために、つまりそれらの特性を人間のため貰い受けるために、それらの生命活動を止める。ゆえに「殺す」とは呼ばない。
 しかしそれでも、生きている牛や豚の生命活動を中断することには、重さが残る。中断された命の重さを「熱さ」として受け止める時、人は誰しもたじろぐだろう。しかも、それを乗り越えて解体作業員としての自恃を、日々の仕事から練り上げていかなければならない。
 この正負の混然一体となった行為を言い表すには、「殺す」という強い言葉を用いざるを得なかったのだ。

 たしかに「屠」の一字があれば、簡潔に用は足りている。しかし今にして思うのは、われわれには「屠」だけでは足りなかったのだ。差別偏見を助長しかねない「殺」の字を重ねなければ、われわれは自らが触れている「熱さ」に拮抗できないと考えていたのではないだろうか。(中略)
 現実に存在する言葉だからといって、それが正しいと限らないのはもちろんである。差別的な意味合いが込められているならなおさらだ。そのことをくりかえし頭に叩き込みつつも、私はやはり自分たちがしてきた仕事は「屠殺」であったと考えている。
 牛や豚を殺しているのではないと言い張りながら、「殺」を容認するのは矛盾だが、われわれは「屠殺」という二文字の中に作業場でのなにもかもを投げ込んでいた。

 本書について、巻末の対談で平松洋子は「働くことの意味、そして輝かしさを書いた作品」だと評しているが、本当にその通りだと思う。職場での経験を切り詰めた筆致で伝えることで、仕事というものの本来の在り方、つまり対象に働きかけ、その手応えが自身に跳ね返ってくるというフィードバックの積み重ねを通して自己を錬磨する、という姿が鈍い輝きを持って浮かんでくる。

牛を屠る (双葉文庫)

牛を屠る (双葉文庫)