円城塔『これはペンです』

 読了日2014/08/11。

 何かが書かれるためには、書く誰か(主体A)がいなければならない。逆に、書かれたものからは、書いた誰かの像(主体B)が遡及的に浮かび上がるはずである。では書いた主体Aと、書かれたものから読み取れる主体Bは合致するのか。合致するという立場なのが、近代の「作者」という概念である。だが現代文学理論は、「作者」への疑義から出発する。ネットワークの彼方に隠れて「変転」を続ける叔父は、書くことを通じて自己証明を試みながら、書かれたものから読み取られる自分のイメージには合致するまいと逃亡する、羞恥の人ではないだろうか。