坂口䙥子のラジオドラマ

 古本屋で手に入れた『熊本放送』1963年8月号に坂口䙥子の随筆「私と熊本放送」が載っていた。RKK(Radio Kumamoto Kabushikikaisya)創立10周年を記念した各方面の著名人による寄稿中の一篇。

 熊本放送劇団の第1回放送が、坂口の「妻の旅路」というラジオドラマだったという。

第一の声と第二の声を出して、女主人公の内面の知性と本能を語らせ、第一の声がナレーターの役目もするという、当時は新鮮なプランだった。第一回の記念放送だから、私はストーリイよりラジオをフルに使う手法を考えたのだ。 

  なかなか意欲的な実験作。〈分裂した語り〉は「蕃婦ロポウの話」にもあるし、全作品を通覧すれば、意識的な方法として分析できるかも知れない。また五家荘に取材した「美しい演技」という作品も挙がっている。

 「ドラマライターとして十年以上熊本でやってきて」とあるので、他にもまだ彼女の手掛けたドラマはあるのだろう。当時の脚本は現RKKに残っていないだろうか。

 次の言葉などは、内容のマンネリ化という作り手の感慨を語っていて興味深い。

結末の用意されていないものに、思いがけぬたのしさがある。(中略)もはや台本のあるものには、こっちの計算が早くて、たのしみは途中で終わる。どこかで聞いたり読んだりした記憶で、ドラマの行く末が割り出されては、どんなに必死のアクションでも、もはや私を引きずってゆく力は無い。 

 すると――一体、ラジオ・テレビを倦むことなくくり返し巻き返し、編成し、放送している強靭な神経、感覚というのは、超人的な努力であり、卒業生をあてにしない在校生だけを相手の一定の枠内のことのように思われてくる。すなわち規格的なある年代を目標にし、ある精神年齢層を相手にして、十年一日の如く循環しているように思われる。(中略)戦後十余年つづいた番組などというものを、有難がっていることに、安易さを感じる。視聴者の交代を見越してのことと思うけれども、何となしに馬鹿々々しくなる。しかも亦、それを飽くことなく毎週見つづけ聞きつづけるフアンが多数ある、とうけたまわっては、もはや私の言うことはなくなる。