石原千秋『打倒! センター試験の現代文』

 読了日2015/08/03。

 かつて受験指導のために読んだ。今となってはセンター試験自体がなくなったが、共通テストへの移行に伴って起きた様々なゴタゴタ(記述式の拙速な採用と廃止)は、それに対する文学研究者の反応(紅野謙介氏らの批判)も含めて、歴史的文献として記憶しておくべきだと思う。

 本書は、旧センター試験に求められる能力として、①要約②換言③パターン化の三つが必要と指摘する。①②は多くの受験参考書や予備校でも指摘されており、本書の眼目は③にある。筆者は、国語は道徳であるという観点から、評論では「進歩的知識人」、小説では「小市民」を装い、その価値観に沿って本文を読み解くのが必要とする。目指すべき主体の像を提示する、イデオロギー装置としての国語の役割である。

 ただし、本書刊行の前後から、既に「進歩的知識人」の方は、モデルとしての説得力を失いつつあった。石原氏自身、本書か別の著作で、国語教科書の内容が社会学に偏重したものとなっていることを指摘していた。目指すべき姿は、もはや思想や芸術を理解し、“人間はいかに生きるべきか”といった高尚な問いを抱く、教養人型の指導者ではなくなった。社会を工学的・操作的に捉え、システム設計できる技術者型の人間が求められたのだ。さらに、センター試験の末期には、情報技術の発達により、知識の有無が意味を持たなくなった、ネット社会の平準化に関する文章が出題された。

 今、共通テストは文章だけでなく、図やグラフも含む複数の資料と関連付けて読み解く能力を求めている。PISA調査の結果は、何度も喧伝された。各時代の国語教育が求めた人間像が、社会からの要請を反映していたように、ここでも産業や経済界の意向が盛り込まれているのだろう。

 その意味で、入試問題を透明なものとしてでなく、イデオロギーの表れと見る本書の視点は、まだまだ有効である。