漱石の新資料「韓満所感」

  夏目漱石がハルピンで暗殺された伊藤博文について触れた文章を、『満洲日日新聞』1909(明治42)年11月5、6日に発表していたことが分かった。「満韓ところどころ」に描かれた満洲・韓国旅行は同年9〜10月であり、伊藤暗殺は10月26日。漱石の文章には「東京にて」とあるから、帰国後書かれたものだと分かる。
  ↓各紙の記事
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20130107071.html
http://mainichi.jp/select/news/20130107k0000m040076000c.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013010702000117.html
  『産経新聞』(2013・1・7)では、本文の一部が引用されている。

歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に跼蹐してゐる間は、日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた

同時に、余は支那人朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵児と云はねばならぬ

  発見したのは作家の黒川創氏で、この文章を取り込んだ小説「暗殺者たち」が『新潮』2月号に発表されるという。氏は「「外地」の日本語文学選」を編み、谷譲次林不忘長谷川海太郎)の戯曲「安重根 十四の場面」(『中央公論』1931・4)について、日本から見た「国賊」としての安重根ではなく、「より深く多面的な理解へ、安重根を解き放つ」ことで「彼らを閉じ込め、抑圧していたものの正体を見据えようとする」と述べている。今回の発見は、そのモチーフを一層深化するものと考えられる。

新潮 2013年 02月号 [雑誌]

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