ダグラス・スミス『憲法は、政府に対する命令である。』

日本国憲法施行70年に当たる今年の5月1日、安倍晋三首相は「この節目の年に必ずや歴史的な一歩を踏み出す」と宣言し、改憲に向けての具体的な行動を起こす姿勢を見せた*1。周知のように自民党は、2012年に日本国憲法改正草案を発表しており、首相も最高顧問…

橋本治「誰が彼女を殺したか?」

橋本のこの有吉佐和子論は、個人的な交流のエピソードを交え、彼女の急死直後にマスコミで出回ったスキャンダル(「笑っていいとも!」テレビジャック事件のこと。現在ではテレビ局側の依頼によるヤラセだったことが分かっている*1)への反駁という形を取り…

徳永直「追憶」震災下の流言と虐殺

先日(4/24)触れた中島氏の文章は、熊本地震より前に書かれたものである。この時、関東大震災時と同じ醜悪なデマが出回ったことは、私達の社会に根深く巣食う排外主義を改めて意識させた(幸い現地でこのデマに動かされた人はあまりいなかったように思う。…

農業と文学

日本の近代っていうのは「個人が口をきいてもいい」ってことになったと青年達が思った時代だと思うんだ。それだから、みんな不器用に一生懸命口きいて“近代文学”なんてものが生まれたと思うんだけどさ、不思議っていうのは、ここに農民出身の作家っていうの…

中島京子「戦前という時代」

『朝日新聞』2014年8月8日より。適宜省略した。 私は、準備中の短編小説のために、戦後まもないころの出版物をあれこれ調べていて、プロレタリア作家・徳永直の「追憶」という文章に出くわした。「文藝春秋」1946年11月号に掲載されたその随筆は、敗戦…

鷲田清一「折々のことば」692

こうの史代『この世界の片隅に』の登場人物のセリフから引用の後、筆者は続ける。 気がつけば、時代は悪いほう、悪いほうへと流されている。それに抗うのは難しい。が、それ以前にそれに気づくのはさらに難しい。日々の暮らしの中に生まれる些細な変化、そこ…

久保田義夫「魂の中の死」―植民地社会の縮図

久保田義夫の作品集『魂の中の死』(1972)を読んだ。年末の古書セールで買ったものだ。奥付の著者略歴によれば1917年宮崎県生まれ、41年京城帝国大学法学部卒業後、47年ラバウルより帰還。59年に歴史小説集『黄色い蝶の降る日に』を刊行、『詩と真実』『九…

星野智幸「文学に政治を持ち込め!」(『図書新聞』)

小説家・星野智幸が青山ブックセンターで行ったトークイベントの記事が『図書新聞』2016年12月10日に掲載されていた。過去の読書記録を見ると、2006年に『ロンリー・ハーツ・キラー』読んでいた。当時まとめた作品の概要と感想を、多少改めて掲載する。 内容…

中島敦と軍歌

辺見庸『完全版 1★9★3★7』上を読んでいると、最初の方に「海ゆかば」の話が出てくる。筆者はその旋律に「なんかただごとではない空気の重いうねりと震え」を感じ、「ニッポンジンのからだに無意識に生理的に通底する、不安で怖ろしい、異議申し立てのす…

句会(2016・10・2)

親は親子は子で高きに登りけり 先師の六道詣り此方より 蟷螂が心の臓食む月の末 ガリレオの心動かす月今宵 いぼじりのかもとどかぬ鉄扉かな

句会(2016・3・11)

夕雨や二人静が序を踏みし 子猫らの生命荒ぶる古畳 川音をしんしんとかむ木の芽和え 桜湯の底に沈んでいることば サイレンを間遠に聞いてまた三月

句会(2016・11・5)

大銀杏城の根方にうつろ棲む 秋ぽかり昨日と今日の段差踏む 秋涼し「四月」のままのカレンダー 老木一人更地の庭に茸老ゆる 山稜の遠きを照らす秋日かな

「社会性」についてのメモ

古い読書記録から。 ひとは異なった共同体に同時に住むことは大いにあり得る。であるとすれば、ひとの主体的立場は単一に決定されているのではなく、多重に決定されているはずである。ひとは、娘であり、母であり、隣人であり、買い手であり、あるいは教師で…

三島由紀夫「花ざかりの森」の自筆原稿発見

以下は『朝日新聞』2016年11月11日の記事。 http://www.asahi.com/articles/ASJCC5G4VJCCULZU00C.html 作家・三島由紀夫(1925〜70)が16歳のときに初めて筆名で書いたデビュー作「花ざかりの森」の自筆とみられる原稿が、熊本市内で見つかった。原…

伊勢崎賢治『本当の戦争の話をしよう』

筆者は建築家を目指して早稲田大学建築学科に進んだが、スラム街の建物に心惹かれてインドへ留学したことがきっかけでソーシャルワークの道に入り、NGOでスラム住民の居住権獲得運動を組織した。その後、内戦の激化したアフリカのシエラレオネの武装解除…

塚本晋也監督「野火 Fires on the Plain」

本作は昨年の公開時から気になっていたものの見逃していた。去る18日にDenkikanでリバイバル上映会があり、塚本監督のトークショーも併せて行われるというので、万難を排して見に行った。 映画「野火 Fires on the Plain」オフィシャルサイト 塚本晋也監督…

NHK「九軍神〜残された家族の空白〜」

NHKで真珠湾攻撃で戦死した「九軍神」の遺族のその後にスポットを当てた、興味深いドキュメンタリーをやっていた。以下は番組紹介のHPより。 http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1614/1077207/index.html 「九軍神」とは、昭和16年12月8日の真珠湾…

句会(2016・1・29)

季題は「初夢」。 初夢やノラにも吉や来るらん スニーカーどんどの灰を踏み均す うつつなく箸にかからぬ雑煮餅 罫線や去年の塵を払いのく くるくると傀儡繰る糸狂いつつ 最後の「傀儡」が新年の季語だとは知らなかった。角川書店の『合本俳句歳時記』にはこ…

加藤周一「それでもお前は日本人か」

加藤周一『夕陽妄語』で紹介されているエピソード。加藤は戦時中の日本を振り返って次のように言う。 昔一九三〇年代の末から四五年まで、日本国では人を罵るのに、「それでもお前は日本人か」と言うことが流行っていた。「それでも」の「それ」は、相手の言…

北京で発行されていた『月刊毎日』熊本市内の古書店で発見

以下は朝日新聞2016年1月6日の記事より。 http://www.asahi.com/articles/ASHDK6FCSHDKUCVL026.html 第2次大戦末期、日本占領下の中国・北京で刊行されながら、存在が歴史に埋もれていた日本語総合誌が見つかった。タイトルは「月刊毎日」。確認された計8…

戦後70年談話の歴史語り

去る8月14日に安倍首相による総理大臣談話が出された。閣議決定された「総理大臣談話」は、個人的見解を述べた「総理大臣の談話」と異なり、日本政府の公式見解として内閣が変わっても引き継がれるものという*1。つまり戦後70年談話は、単に日本政府の見解…

樋口陽一『個人と国家――今なぜ立憲主義か』

個人と国家 ―今なぜ立憲主義か (集英社新書)作者: 樋口陽一出版社/メーカー: 集英社発売日: 2000/11/17メディア: 新書購入: 2人 クリック: 17回この商品を含むブログ (27件) を見る 2000年に刊行された本書は、現在の私達にとって多くの示唆に富む指摘を含ん…

戦争を個人の出来事に取り戻す

大岡昇平『レイテ戦記』が戦争を「兵士」の視線で描くことに徹しているという先日の感想を書いた後、それを補足するような西谷修へのインタビューを見つけたので、ここに紹介する。IWJ Independent Web Journal 2015.4.27から。 「自由」と「戦争」をめぐっ…

戦争を語る文体――大岡昇平『レイテ戦記』

大岡昇平『レイテ戦記』を読んだが、単なる事実の羅列ではなく、戦争を文学において捉えるための一貫した方法意識に貫かれているのに驚いた。 それは簡単にいえば「兵士」の目線で戦争を書くということである。自作を語った「『レイテ戦記』の意図」(『大岡…

断続的な自己

宇野邦一『反歴史論』は、第1章「反歴史との対話」で小林秀雄、レヴィ・ストロース、柳田国男などの客観的歴史に疑義を呈した人々の系譜を取り上げている。さらに第2章「無意識・映画・存在論」、第3章「歴史のカタストロフ」ではハイデガー、バタイユ、…

戦争と認識されなかった戦争が「泥沼化」を招いた

満州事変から日中戦争に至る経緯を調べていて、下記の記述にぶつかった。文中の橋川とは橋川文三のことだ。 多くの日本人にとっての戦争とは、あくまで故国から遠く離れた場所で起こる事件と認識されていた(中略)橋川はいう。考えてみれば、三七年七月に勃…

国民の「生命」を守るという大義名分を掲げない侵略や戦争があるだろうか

加藤前掲書によれば、満蒙について「国民的生存」のため必要であるとする議論は、1929年の世界恐慌で現実味を帯びるようになった。前満鉄副総裁・松岡洋右が「満蒙は我国の生命線である」と主張したのは1931年である。 それに先立つ1914年、中国学者の内藤湖…

句会記録

季題は「かたつむり」。 でで虫やFausut(ファウスト)のまだ一行目 夜語りに祖母の隠した梅酒かな

酒井直樹・西谷修『増補〈世界史〉の解体』

人文学(ヒューマニティーズ)と人類学(アントロポロジー)の違い 西谷 「フマニタス」というのは「人間性」とも訳されますが、いわゆる「人間」を指す言葉なわけで、それに対して「アントロポロス」と呼ばれるのはその「フマニタス」によって発見された存…

句会第二十三回

季題は「柚子」。 妻病みて柚子は梢に暮れ残る 落葉寄せ小径はどこへ行ったやら 掘り立の藷を洗えばあかね色 郁子の実の種噛み当てた顔しかめ顔 「バカヤロー」念仏のごと舌凍ゆ